朝活71日目*Mちゃんと私と10代のわたし。
高校の同じクラスだった友人に会ってきた。
彼女とはじめて会ったのは高校入学して、夏の気配を感じた頃だっただろうか。同じクラスだったのにかなり経過したのはなぜか…というと。
一クラスが50人近くいて、席順は名前順、彼女はあ行、私はは行。人も多いし、席も遠い。おまけに私は、人見知りだった。
この人見知りをどうにか直したくて、演劇部に入りたかった。彼女が演劇部だと教えてくれた友人に紹介されるかたちでの出会い、互いが認識し合った瞬間だ。
それから、だいたい毎日顔を合わせ、お昼も放課後も一緒、修学旅行は同室、箸が転がっても笑い合う仲になった。高校を卒業しても、なんだかんだと繋がっていた。
彼女と会うのは、何年ぶりだろう。コロナ禍の前に会う約束をしていたのに、騒ぎが騒ぎなので約束を延期して以来だから…40才になる前だと思う。
久しぶりの彼女は、相変わらず綺麗だった。
年を重ねたことによってさらに魅力が増している。
会う前は、何を話そうかと悩んだのだけど会った瞬間から会話が途切れることはなかった。
ただ話す内容が変わった。
年ごろの子供のこと、家族の近況、子どもの進学、それに伴うお金、受験、老後のこと、健康のこと。
話しながら、年を重ねたことを痛感。
だってあの頃は、老後もお金も健康も心配なんかしなかったもの。そんな話をする時が来るなんて、たぶん夢にも思わなかったかもしれない。
いや、いつか来るだろうとどこかで思っていた気がする。あの頃、母たちがそんな話をしていたのを耳にした。その時は、なんでそんな暗い話ばかりをするのかと思ったのと同時に、それが年を重ねることかと悲しく感じた。
悲しいのは人生の終わりを容易に想像できる範囲にあって、いずれ別れる時が来るのかと思ったら、たまらなく寂しくなったからだ。母とまだ一緒にいたい。だからそんな話をしてほしくなかった。
反抗期に輪をかけて、そんな話をする母を疎ましく思った記憶が蘇る。存外、私はかわいらしかったのね。
それを含めて、年相応の話題をする私たち。ふっとおかしくなった。
「健康の話をするなんてね」と私。
「本当だよね、まさかね」と彼女。
彼女との良い関係が、続いている証拠だ。暗い話題と思っていたけれど、彼女との距離感になんら変わりはない。
10代の私よ、これってあなたが悩んでる、恋や友だち、勉強に将来そんな類と同じよ。友だちとの会話そのもの、だからその瞬間を楽しんで!
もしも会えたらそう伝えよう。そんなことを思いながら、友人と次会う約束をして互いの帰路についた。6時間の会話、全く途切れなかった。