書活267日目*下期の目標。
先月、前半戦勝手に終了させてました。
今日から下期ですね。区切りのいい時に目標を立てたるのはいいらしいので立てようかと思ったのですが、大枠の目標がないことに気づきました。
もちろん、アレもコレもしたいという思いはありますし、それに向かってじゃあ何をしようか?と考えるだけでモチベーションはあがります。
ただ、それだと今までと変わらないのでは?そう思ったのです。
つまり、小さな目標を立てて、それを達成するのも小さなハードルだったりします。
温泉に行きたい、美味しいご飯を食べたい、SNSで動画や写真をあげたい、などなどなど。誰でもできてしまうものですよね。
この小さな目標たちを達成させることが私の目標でした。では、その先は一体なんだろう。改めて考えてみたものの「無」の世界が広がるばかり。
やはりまだ、何もない状態から抜け出せてないんだなあ…。
ちなみに、昨年お世話になった講座にて自分自身の目標のようなものを立てて宣言するというものがありました。予祝と言われるものや、人生設計を描くものなどそれの類だと思います。
その時の私は、講座のある日までになんとか提出するために捻り出していました。
それを自分自身の夢なのだと言い聞かせてみるもののスタート地点でつまづきました。私がやりたかったことって、この先の「何か」の道中には必要な気がするけれど、本当にこれなのだろうか?
昨年後半に出会った友人たちは、これまでに一念発起して培ってきたものを形にしていました。
彼らのその形には、その先のもっと大きなものを見ているような気がしたのです。それは揺るがない何かでした。
人生を輝かせたい。
世の中を豊かにしたい。
未来は明るいと思わせたい。
美しくありたい。
どんな自分も受け入れたい。
たくさんの鮮明なイメージたちが、私の小さな夢をぼやかしています。
違う、もっとこう「はっきりとしたビジョン」が欲しい。私がどうして動くのか、それは孤独だったから。孤独は視野を狭めます。他人を妬み嫉み、そして自分を卑下します。苦しい、辛い、そこから脱却したかった。
自分が欲しかった。自分をカタチ作りたかった。生きた証が欲しかった。私であるという何かを手に入れたかった。
ただ、ただそれだけです。
だから本を読みました。本を読んだら世界が広がる、己の挑戦に打ち勝つために、手を目を動かしました。
次から次に出てくる小さな目標たちを集約する確固たる「夢」とは一体なんでしょうか。
その思いがムクムクと出始めている感覚があります。不安です。苛立ちもあります。何かに栄養が取られてるのか非常に疲れてもいます。
この感覚は勘違いかもしれません。それでも自分を深掘りしていきたいと下半期は強く思うのです。
夢を持ってる人が強いだとか勝ちだとか言いますし、ぼんやりしてる暇はないなんて言われることもあります。
ただ、人には人それぞれのペースがあります。早く行きたければ行けばいいし、ゆっくりしていてもいいのです。
夢の実現に向けてどう動くか。良し悪しなんてないのではないでしょうか。
ちなみに私は、じっくりと自分と対話することが丁度いいのです。