短編小説『異形のサムライ』
見てしまった。
佐々木小次郎という剣士を。
その存在自体を見てしまった。
それは、今までに見たことのない存在。
自分の範疇の中に入らない存在。
得体のしれない怪物を知ってしまった。
自分にとって得体の知れないものは、本能に漠然とした恐怖をもたらす。
試合に臨むとき、勝負とは言え、対戦相手と一体の世界を作り上げて行く。
その共同作業の時、どちらかが主導権を取った瞬間、勝負は決まる。
主導権を先に取る者だけが勝つことが出来るのだ。
そのほんの僅かの創造が、その後の勝敗を大きく分けることになるのだ。
小倉入りし、藩主細川興長のところに、今回の試合のことで挨拶に行った帰り、大通りで人だかりがしているところに出くわした。
訪ねもしないのに通りすがりの若侍が、大柄の武芸者風体の我が興味があると思ったのか、今回の藩を上げての大試合に先駆けて佐々木小次郎がその十八番の「燕返しを」実演が始まることを教えてくれた。
遠巻きに見ようとしたが、人が混み合っており、思い通りに進めない。
人ごみに流されるようにして、結局、小次郎の近くまで来てしまった。
我の身の丈は、皆より頭一つ抜きん出ている。否が応でも目立つ。
身を縮めようとするが、その方が不自然でかえって目立ってしまう。
すぐそばに小次郎が見える。
彼は、鍵の辻の突当りにある大店の玄関先に仁王立ちしていた。
全身を上から圧し潰したように背が低く、手足が寸詰まったように短い。
あたりを威圧するように腹を突き出して、酒に酔ったような赤ら顔で、集まっている人々を舐めまわすように視線を向けている。
武蔵は思わず、目を合わさない様に、顔をそむけた。
地面を引き摺る程の身の丈と変わらない長さの愛刀備前長光を背に負う小次郎の姿は、串刺しにした田楽のようであり滑稽に見える程異形をなしている。
達磨のように大きく開かれた目。
眼光鋭く、視線を浴びたもの全てを凍らせるほどの威圧感。
舞うようにゆっくりとした体の動きだが、それでいて全く無駄がない。
真夏の日差しのように容赦なく差し込み思わず身をのけ反らせる程の氣の発散。
見たことのない化け物を目の辺りにしたような気がした。
まだ技を披露していないにもかかわらず、この凍り付くような恐怖。
小次郎には、勝てないかもしれない。
武蔵の頭にその思いがよぎった。
その瞬間、死を身近に感じた。