短編小説『白木の棺の由緒』
知恩院山門の造作奉行を務めておられた五味金右衛門様の葬儀が終わって、それから一年も経たない頃、出家された奥方のお幸様が、嵯峨野からご挨拶にお見えになりました。
初めて見るお幸様の頭を丸められた清々しいお顔がとてもお綺麗でした。
お幸様は人払いをされて、五味様の配下で大棟梁をしておりました私共の主人と二人だけで長い間話をされていました。
後で主人から聞いた話なのですが、お幸様が将来お亡くなりになられた折には、五味様と一緒に知恩院三門のたもとに墓を建て弔って欲しいと懇願されていたそうです。
五味様に多大な恩義を感じている主人は、お亡くなりになられたのも元はと言えば主人からの因果であることを承知しておりましたので八方手を尽くしました。
五味家は浄土宗でおられたので、宗派には問題はないのですが、知恩院様自体が将軍様のご加護を受けているので、咎を受けた五味様を受け入れるわけがなく、ましてや三門の辺りは聖域です。
そこに、墓を建てるのは許されるわけがないのです。
主人も、そのことを十分に踏まえておりますが、お世話になった五味様の奥方のたってのご希望であるので、無下にお断りすることができないのです。
主人は思い余って五味様とも親交のあった小堀遠州様のところへ相談に行きました。
小堀様は、それを聞くと腕組みをされて、目をつむって暫く考えおられたそうです。
思いつめた表情が和らぐと、やがて目を開けられました。
「遊佐殿、昔の中国では、立派な建物が完成した時に、その建物が後世に長く残るように、翁と媼の木像と各々の空の柩を屋根裏にお納めしたと聞いたことがある。その風習にちなんで、五味様とお幸の方の木像を作り、空の柩を三門の屋根裏にお納めしたらどうだろうか、お上に伺うと、とやかく言われるだろうから密かに事を進めるがよかろう」
遠州様は、それを言い終わられると、片頬を上げて、意味ありげに片目を閉じられました。
主人は、その片目を閉じられた意味がずっと分からず、後々まで気になって仕方がなかったそうです。
日本一の宮大工と言われていた父親にも、その様な中国の習わしには伝え聞いておりませんでした。
主人は古老の棟梁や名のある学者らに、ことあるごとにその風習について尋ねて回りましたが、誰もが聞いたことがないと言われたそうです。
しかし、久事方奉行の遠州様がおっしゃるのなら間違いはないだろうということで、五味様とお幸の方を模した翁と媼の木像を作り、白木で作った棺と共に三門の三層になっている最上階の屋根裏にひっそりとお納めすることに決めたそうです。
私らが生きているうちは、その五味様ご夫妻の木像と白木の棺の意味は、分かる人がまだおりますから良いのですが時代が変わって私らがいなくなってしまうとどうなってしまうのでしょうか。
主人もそれを心配していました。
遠州様からも公にすることは禁じられております。
思い余って、主人は嵯峨野にいらっしゃいますお幸の方に相談に行きました。
お幸の方は、
「よくよく考えてみれば、墓所を三門の近くに持ってくるのは無理なことだと思っておりました。中国の風習とは言え、私どもはそのようにして、三門の中に収めて頂けるのは光栄です。何も残さなくても結構です。その地に人知れず、ひっそりと五味殿とずっといられるだけで幸せなのです」
とおっしゃられたそうです。
つづく