時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第10話「人斬り半次郎が語る西郷どんの悪だくみ」
伊東甲子太郎は、坂本龍馬の潜んでいる近江屋を出た後、真っ直ぐに御陵衛士の屯所である高台寺に向かわずに薩摩藩邸に入った。
西郷さんは、薩摩に戻ってしまっていて不在だという。代わりに、中村半次郎(桐野千秋)が応対に出た。
「いよいよですな。これで、王政復古も目前ですな」
「左様、いよいよ時が来ました。しかし、西郷さんはその後が肝心だと申されておる。それで、急きょ薩摩に帰られた」
「急に、何用か?」
「王政復古の世になっても、徳川に口出しをされては何も変わらん。大政奉還されても、幕府が大手を振って歩かれれば何も変わらん。黙らせねばならないと、申されている」
「黙らせるとは?」
「舞台から、下りてもらう。おりるだけじゃない。舞台小屋からも出て行ってもらう」
「それは、幕府に政治の主導権を握らせないこと?」
「それだけじゃない。消えてもらう」
「二百年も続いた徳川幕府そう簡単には、無くすことは出来ないだろう」
中村半次郎、偉丈夫だが人相が悪い。長年、人を斬るとこうも人相が変わるものかと思う。
「それで、この世は良くなるのか?いつの世も、帝がおられて、それを預かる将軍がいて世が収まるものであろう。西郷さんは、何をしようとされておるのじゃ」
「難しいことは、分からん。ただ、西郷さんは徳川で出来たことは島津でも出来るはずじゃと申されておる」
伊東は、不安になった。
今まで、勤皇の志として生きて来ていた。
その意が一脈通ずるものがあり、新選組に加わって京に出てきた。今更攘夷が無理だとしても、勤皇の志は変わらない。
しかし、江戸で生きてきた人間として、幕府をないがしろにするのは反対である。ましてや、徳川に代わって島津が天下を取るなんて持ってのほかである。
身を挺してまで、幕府と薩摩の連絡を取り合ってきた人間として、この先どうすればよいのだ。
伊東甲子太郎は、不安になった。
つづく