分析のプロ「人間の感覚に勝るデータはない」

こんばんは。ビズリーチでHOT登録者の傾向値を趣味で分析している人です。

先ほどデータサイエンティストとペルソナ分析についてお話した際、「定量データよりも面接官の所感一つの方が根拠として大きい場合もある」など、目からうろこというか、定量データで色々と分析しようが「感覚を信じない理由がない」という話から、データという言葉を盲信、あるいは勘違いしていたことに気付いた大河内です。

50人程度の組織だと、採用や教育においては確かに「感覚的にこう思う」という話でうまくことが進むシーンが多いかもしれない。小さな組織で工数かけてまでデータを集めて定量分析に取り掛かる意味ってなんだろうか。
(もちろん大きな組織へと成長していくにあたり、記録が将来役に立つことはありますが、何を求めてデータを蓄積していくかを定義しないと、意味のないデータ取りをさせられるオペレーター側はたまったもんじゃない)

小さな集落ならその人々が感じる違和感や想いがすべてで、言語化することで失われるものもあるわけで、なんとも自分がやろうとしている組織分析での価値創造、、みたいな高尚ぶった取り組みが的外れだったなあと実感した次第です。
こういう本読んだな、、。なんでしたっけ。明確化していく中で人本来の良さが失われるみたいな内容、、、うーん。思い出せない。

ともかく、日々データと向かい合っているスペシャリストだからこその、人間の感覚を信じよう!という金言を得た貴重な日でした。

メモ

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