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私と将棋と四間飛車

 私が初めて将棋を指したのは小学2年生あたりの頃だった。当時は今ほどAIは発達しておらずせいぜいアマチュア2段程度であった気がする。しかし、駒の動かし方を知っている程度であった私は裸玉(いわゆる歩、香、桂、銀、金、角、飛の19枚落ち)のコンピュータ相手に惨敗した。

 それから週に1回の将棋教室に通うようになった。教室とはいっても定跡や詰将棋をするわけでもなくただ対局するだけ、現在はスマホさえあれば全国津々浦々の猛者たちと対戦できるので教室も行く必要はないが楽しかったのを覚えている。

 そんな私が好きで指し続けているのが四間飛車である、角筋を止めている歩を更に飛車で守っているのが妙に安心感がある。数十手は囲ったり攻めの態勢を作ったりして好き勝手できる感じが良い。

 四間飛車は実に400年の歴史があり、栄枯盛衰を繰り返している。個人的にこれほど時代に翻弄された戦法はないと思っている。

四間飛車の歴史

ザッとまとめるとこんな感じ

本因坊算砂が四間飛車を指す、これが現存する最古の棋譜(1607年)

しかし香落ちでしか使われず、平手では居飛車が主流の時代が続く(江戸初期〜昭和初期)

大野源一が振り飛車を再興する、四間飛車も徐々に指され始める(昭和初期〜中期)

大山が振り飛車党に転向、その後四間飛車を主流に五冠王を獲得し振り飛車が脚光を浴びる(昭和中期〜後期)

田中寅彦を筆頭に居飛車穴熊が流行する、あまりの固さに歯が立たず。振り飛車党の棋士は激減する(昭和後期〜平成初期)

藤井猛が藤井システムを考案、穴熊に組む前に攻めるという新機軸を生み出す。藤井竜王が誕生し一斉にフィーバーとなる。(1995〜2003年)

しかし、居飛車側も急戦で対抗する手段が出てきて藤井システムは下火に。それならばこちらも穴熊に囲えばいいとばかりに広瀬章人が四間飛車穴熊で王位を獲得するが相穴熊では思うように勝てず再び下火に(2004〜2010)

このまま終焉を迎えるかと思われたが再度四間飛車を救ったのがこの男、藤井猛である。
角道をオープンにしたまま戦うというやや変則的な形だが角交換して穴熊に組ませない先進的な戦法は一大ブームとなる(2011〜2013) 

これも居飛車側の対策により減少したが、鈴木大介、窪田義行、石井健太郎など四間飛車を指す棋士は少なからずいた。だがこの辺りでプロ棋戦ではややレアな戦法となっていく(2013〜2020)

またも終焉の危機を迎えたかと思われたがここで燿龍四間飛車、ミレニアム四間飛車と美濃囲いに捉われない新たな四間飛車が流行り出す。更には若手棋士にも指すものが増え始め2024年は採用数が激増、shogidata.infoによると直近500局の採用数は15.5%とまさに破竹の勢いである。(2020〜現在)

まとめ

 以上が四間飛車の変遷である。新戦法に限ったことではないが何かを生み出すのに大切なことは“常識を疑う”ことではないかと思う。藤井システムに並ぶ新たな発想が出てくることを今後の将棋界に期待したい。

こういうのは許されますかね?😂

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