痛みを伴う笑いとは何か?
私が物心ついたのは90年代後半で、昭和の頃よりは規制はあったがTVでの表現もまだ大らかな時代であった。それを観てゲラゲラ笑っていた俗人の私には今のTVは物足りなさを感じてしまう。
バラエティ番組において欠かせないのが“罰ゲーム”である。ベタなものでハリセンやタライ落とし、ゴムパッチンに熱湯風呂など・・・、王道として”痛い系”の罰が好んで使われていた。それがつい最近BPOが発表した「痛みを伴う笑いに対する見解」により消滅の危機に瀕している。
そこで痛みを伴う笑いに関してちょっとだけ医療を交えながら私見を述べたいと思う。なお筆者は笑いに関しては素人であるので、記事を書いておきながら誠に勝手ではあるが戯言と思って話半分に聞いてもらいたい。
そもそも痛みって?
痛みは絶対的な悪と捉えられがちだが医療人にとって重要なヒントである。腹痛や頭痛が無ければ腸閉塞や脳出血などの緊急性のある病気も早期発見はできないし、痛みの程度により治療の経過や重症度も分かる。
では痛みとはなんだろうか?IASP国際疼痛学会が2020年に改訂した新定義によると以下のように記されている。
要するに痛みとは体の不調があった時のアラームのようなものだけど、それに限ったものじゃないよ!と言いたいわけである。また、付記にはこうも記されている。
まだちょっと分かりにくいと思うので世界保健機関(WHO)憲章の健康の定義の記述からも抜粋したい。
つまりは痛みは身体だけの問題だけじゃなく、悪口を言われた時の心の痛みだったり、競馬でお金をスッたときの財布の痛みだったり仕事の出世競争から外れた時の痛みだったりと色々なものがあるよ!と言いたいと解釈できる。
痛みに対する人々の解釈
世間ではお尻を叩かれたり、落とし穴に落とされたりするのが痛みを伴う笑いとして非難されている。では筋肉痛をおしてコスプレで長距離マラソンをしたりゲームで負けて(勝って)飯や物をおごらされるのも痛みに入るのではないだろうか?
また、精神的や社会的な痛みもあるとするならばトークで滑ったり、秘密を暴露されたり、それによって業界から干されたりするのも痛みに入るのではないだろうか?
仮に痛みを伴う罰がこの世から無くなったとしよう。過去にリアクション芸で笑いを取ってた芸人たちが、何らかのゲームで負けて罰を受けるとする。それまでは頭上からタライが落ちてきたのであるが、痛みを伴って可哀想とのことでティッシュ1枚がヒラヒラと落ちてくる罰に変更されていた。
最初は意外性から笑いは起きるだろうが、2回目3回目と続いていくとなかなかハードルが上がってくる。 そこで結果を出せなかった芸人は滑ってしまった精神的な痛みとチャンスを生かせなかった社会的な痛みを負うこととなってしまった。
痛みとの付き合い方
そう考えると番組から痛みを無くすことは難しいのではないだろうか?いや、番組に限らず世の中には様々な痛みであふれている。
終わらない仕事を嘆きながら深夜にパソコンを打つ人々、満員電車に揺られながら上司の顔を思い浮かべて憂鬱になる人々、本当は帰りたいが人間関係を悪くしないように飲み会に参加しようか悩む人々。
芸人に限らず仕事をする以上はなんらかの痛みを皆一様に抱えているのである。しかし、痛みは悪ではない。無理をするなとアドバイスをくれる相棒のような存在だ、だから痛みを感じたら本来は休みを取る必要があるのだ。
まとめ
長々と屁理屈を並べてしまったが、TVは公共の電波である。「観ていて不快だ。」と言われてしまうと反論できないのも事実だ。
現在はサブスクや有料チャンネルの動画サービスもあるので、課金してそれらを視聴したりライブを直接観に行ったりと刺激が欲しい人々はそちらを利用するのをお勧めしたい。