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【地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 メンバー紹介:有村弘貴】
『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、メンバーや活動紹介を毎月行っています。地域おこし協力隊(以下:協力隊)や行政職員の皆さんへメンバーの想いを届けることで、顔が見えるようになり、少しでも相談しやすい体制ができたらと思います。
第8弾の記事はこちら。
今回は『日置市役所』の有村弘貴さんの想い(第1〜3章)について紹介していきます。
結局、人
有村:大学卒業に地元の吹上町役場(現在:平成17年度より日置市へ合併)へ入庁し、最初は税務課に配属されました。
業務の中には「税金を滞納している世帯へ徴収に行く」といった内容もあって、私も先輩たちと一緒に現場へ出向いていました。
ある日の早朝、いつものように滞納世帯へ行くと、「僕のお小遣いを持っていけ!」と言い放ち、その世帯のお子さんが500円玉を叩きつけてきたんです。それがショックで「役場の仕事はできない…。」と思ってしまって。
でも、先輩から「役場の仕事は税金でしかできないんだ。だから、徴収しに行かないといけない。」と言われて、気持ちが吹っ切れたのを今でも覚えています。税務課には5年間配属されました。
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有村:次に配属されたのが市民課でした。当時、介護保険制度が創設される前で、そのベースや市民の皆さんへ理解づくりに非常に苦労しました。だからか、精神的に余裕がなくなってしまう自分がいて…。
そんな時に私を支えてくれたのは同じ地区出身で、吹上町の福祉現場に従事している先輩でした。その先輩の「結局、人だよね。」という言葉が行政職員として従事していく上でずっと頭の中に残り続けています。
介護保険の事業所に対する評価は当初、事業所数や職員の数等が基準になっていました。でも、その先輩は「介護サービスの質で評価される時代になる」とおっしゃっていて。
その後、実際そのような時代がやってきました。表面的な部分だけではなく、きちんとその中にいる人の心や能力で評価の差が出てくることが感じるようになり、私自身も人にこだわりだすようになりました。
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職員として迎え入れない
有村:私が協力隊に関わるきっかけは地域づくり課に配属されていた時のことです。日置市として協力隊を導入することを検討していた時期に、担当職員とあらゆる研修に足を運び「職員として迎え入れない」ことを決めました。
様々な事例を見ている中で、飛び抜けた能力を持つ人を職員(給与は協力隊基準)として雇用するケースが多かったことが理由にあります。
そんな時、日置市内の地区公民館に説明して回っていると美山地区の皆さんが「今、まさに美山でそんな話をしていたんだ!」とおっしゃって、その日の午後には地域の方が市役所へ直談判に来られたんです。
地域の中でも何となく構想もあったこともあり、美山地区で協力隊を受け入れる形をとることになりました。
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有村:ちょうどその時期に移住系のイベントで知り合ったのが吉村佑太君(サポーターズ代表)でした。ありがたいことに美山へ何度も足を運んでくれて、協力隊として着任することになったのです。
彼を採用してから一番意識したのは「3年間は彼の人生を預かるのだから、無責任に受け入れてはいけない。」ことでした。
彼のスキルを活かし、地域が良くなっていくために何をしていけばいいのか?
それを考えた結果、地域・行政・吉村君の三者で毎月1回集まって情報交換会を行うことにしました。
「フォローしないといけない」というおこがましいものではなく「聞いていないとまずい」という必要に迫られた感覚が強かったんだと思います。
協力隊といえども、スーパーマンではなく、いち移住者です。そんな人が気持ちよくいられるのは受け皿でもある地域なので、地域と移住者が無理をしない形でマッチさせる必要があると思っています。
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与えられた場所で踏ん張りながら
有村:吉村君が協力隊を卒業する前に、私は違う部署へ異動になりました。地域づくり課が長く、正直「ずっとこの部署なのかな」と思っていたので放心状態になったのを覚えています。
そんな時、私を地域づくりの業界へ引っ張り込んでくれた方に呼び出されて「それが人事なんだ。自分が与えられた場所で気張っていくしかないよ。」と背中を押してもらい、気持ちが楽になりました。
ちょうど、伊藤明子(日置市協力隊OG)さんが美山とご縁があり、協力隊になる直前でもあったので、彼女の話を聞いたり、美山の地域イベントを手伝ったり、一個人としてお手伝いをさせてもらいました。
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有村:サポーターズのメンバーになって私はまだ何もできていません。正直、相談が何もないことが一番だと思っています。
もし、相談があったら「そこはどんな自治体なのか?」と最初に調べます。日置市も他の自治体も独特の空気感や癖が必ずあるはずです。
調べていく中で、もしかしたら、それは相談してきた本人もしくは行政や地域の思い違いなのかもしれない。それぞれの期待の問題だったりするかもしれない。
協力隊は真面目に地方で暮らす努力をしようとしているし、地域や行政もそれを受け入れようと必死で向き合ってくれています。だから、その気持ちは大事にしないといけない。
もちろん、協力隊じゃなくても、移住して何かしら動いてくださる方もいます。本当、人の循環って大事だと思います。
難しい部分も多いですが、そんな人たちがのびのびと暮らしをつくっていけるように「何ができるか?」を常に考え、フォローし続けていくことが私なりの役割なのではと考えています。
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(終わり)
・話し手:有村弘貴
鹿児島県日置市:吹上支所長兼地域振興課長 昭和61年入庁。帰郷した故郷でやることがなかったため青年団へ。くだらないことを真剣に取り組むことの大切さを知る。芸術家との連携で母校が文科省の廃校リニューアル50選に選定されたり、戦国島津の歴史や人とのつながりを活かした国内外交流事業、市町村合併後のコミュニティ再編などに喜んで巻き込まれてきました。
大切にしていること :「無知の知」
・取材・執筆・撮影:上泰寿(編集者)
【お問い合わせ先】
地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島事務局
お問い合わせフォーム:https://forms.gle/D3JN2SyiEWkyk68D6
メールアドレス:okosapo.kagoshima@gmail.com