【地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 与論町地域おこし協力隊OB 佐藤伸幸 】
『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、昨年度はメンバーや活動紹介を毎月行ってきました。今年度からは現役の地域おこし協力隊(以下:協力隊)やOBOGの皆さんの背景にも迫っていきたいと思います。
第13弾の記事はこちら。
今回は与論町地域おこし協力隊OBで、与論島観光エコツアーガイド代表の佐藤伸幸さんの想い(第1〜4章)について紹介していきます。
自分の経歴を活かせる場所
佐藤:前職は東京でサラリーマンをしていたのですが、2011年の東日本大震災を機に地方への移住を考え始めました。週末を利用しては各地方を巡って“移住とはどんな感じなのか?”“移住するならどこかが良いのか?”を模索していました。
そんな時、偶然SNSで百合ヶ浜の写真が流れてきて、その絶景に心魅かれて調べてみました。それで与論島を知り、一度足を運んでみることにしました。
与論島は40年前に観光ブームがあり、数十年前から観光地として整備されています。周囲23キロの人口5000人の小さな島ですが、空港や港、都会的な雰囲気のお店や病院、高校もあり、具体的に生活するイメージが湧いてきました。
佐藤:当時インバウンド観光が増え始め、与論島も外国人の観光客が多い状況でした。泊まった宿での話なのですが、オーナーさんが外国人の宿泊客とうまくコミュニケーションがとれず、困っていたんです。
僕は仕事柄、外国人と交流する機会が多く、中国語や英語を話せたので、変わりに話すと他愛ない内容でした。その時、思ったんです。“これって、ニーズあるな”って。もしかしたら、この島なら今までの経歴を活かせるのではないだろうか。そんな想いがフツフツと出てきました。
東京に戻ってすぐに「与論島 求人」と検索するとタイミング良く、与論町で協力隊を募集しているのを発見したんです。
たまたま、高校時代の友人が別のエリアで協力隊に着任していて、その様子をSNSで見ていて何となくイメージが湧いていたこともありました。それで応募することにしたのが与論島へ移住した流れです。
誠心誠意に動き続けること
佐藤:協力隊になって最初に着手したのはふるさと納税からでした。年度ごとの寄付額の目標設定を上げ、それに向けて動こうとすると、周りからは“無理だ”と言われました。
確かに、それまでのやり方を変えることは役場の皆さんに余計な負担がかかってしまうことは承知していたのですが、上司も動いてくださったこともあって、前年度の寄付額を超えることができました。それが信頼を勝ち取った瞬間でした。
周りからしたら大口叩いている新入りだったかもしれません。でも、それを実行し成功させることで、信頼を勝ち取り、次のアクションに繋げることができたと思っています。
その後は、寄付したお金の使い道について島の実情をみながら提案しました。その1つは、今ではふるさと納税の使い道の優良事例(※)として挙げられています。
佐藤:ただ、全てがうまくいったわけではありません。もちろん失敗したこともたくさんあります。
例えば、特産品づくりのミッションで島の在来植物を利用した帽子づくりに取り組んだのですが、技術的に難易度が高かったこともあり、協力者が現れず挫折してしまったんです。
そういう時は、失敗した理由を含め、報告書を提出し、誠心誠意に謝りました。僕の中では取り組みがうまくいこうが・いかまいが、報告・連絡・相談は絶対に欠かさないようにしています。
たとえ失敗しても、それに対してどのように改善するかも含めて、地域の皆さんは見ています。たとえ、一時的に孤立しても自分の意見を明確にし、相手の意見を聞いて、これまで地域になかった新しい角度から解決策を探りながら突き抜ける。それを意識していました。
失敗したとしても諦めない
佐藤:一旦は挫折しそうになりましたが、継続することにより上手くいった事例もあります。
与論島には130種をこえる薬草とそれを活用する知恵があります。任期1年目に島の薬草研究家山さんと出会い出版社の協力を得ながら、2人3脚で書籍の出版にチャレンジしました。
当初協力隊の任期期間中に終わらせる予定でしたが、初めての経験でなかなかスケジュール通りに進まず、結局構想から出版まで4年かかってしまいました。
佐藤:協力隊の3年間いろいろな事にチャレンジしましたが、結局任期終了後の定住するための仕事を作ることはできませんでした。
本の出版を諦めて故郷に帰る事も考えましたが、「島を出るかどうかは、本を出してから考えよう!」と気持ちを割り切ってなんとか出版にこぎつけました。
結局はこの本の出版がキッカケになり、TVやメディアで紹介され、現在の物件を借りる運びになり、ゲストハウスの管理人をしながら、夫婦で薬草カフェをオープンし、観光ガイドと共に現在の私の仕事になっています。
任期が終わったその先も…
佐藤:僕は反対意見をおっしゃってくださる人こそ大事だと思っていて。だから、そんな人は“絶対逃がさない”という気持ちで向き合うようにしています。
確かに最初は大変です。うまくいかずに、精神的にきつい時だってありました。でも、お互いの腹の底が見えた瞬間に、その人たちは応援者になるんです。
実は、協力隊卒業後すぐに、大きな失敗をしてどん底だった時がありまして…。島から出て行こうと思う時もありました。でも、そんな時に手を差し伸べてくれたのは協力隊時代にきつい時も向き合った方ばかりでした。
今は皆さんの支えもあり、現在も島で暮らす事ができています。 “向かってくる人、文句言ってくる人こそチャンスだ”ということを今の協力隊の皆さんにはお伝えしたいです。
佐藤:与論島に移住して7年経ちました。結果にも執着したし、焦ったし、絶望もしました。でも、協力隊になる前に考えたことはほとんど実現できています。“3年でできなかったことも7年続ければできるんだ”と実践を通して感じました。
任期が終わって何も成し遂げていなかったら失敗じゃないんです。その後も頑張って続けていくことも大事なんです。
今年6月からは奄美群島協力隊サポートデスクが立ち上がりました。僕以外にも任期後に各島に残って、事業をされているメンバーたちで現役協力隊の伴走支援や受け入れを考えている自治体・団体のサポートを行っていく予定です。
ありがたいことに背中を押してくださっている県の方の理解もあり、動きやすい体制です。小さなことでも何か困ったことがあれば、遠慮なくご相談なり、与論島に遊びに来るなり、コンタクトをとっていただけたら僕だからこそ話せることをお伝えしたいと思います。
(終わり)