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インタビュー#3

 今回は、広島市出身で現在東京の大学に通っている同い年のKさんにインタビューした。彼とは高校時代からの知り合いなのだが、当時から頭の良さに加えて物事に対する当事者意識を強く持っている人で、大学進学後もその姿勢は変わっていないようだった。今回は1時間ほど話したうちのほんの一部しか投稿できないけれど、広島で生まれ育った若者が平和についてどう考えるかをお伝えできると思うので、ぜひご一読ください。

ー今まで受けた平和教育の中で、印象的だったことってある?

原爆のことについてじゃなくてもいいなら、カンボジア研修っていうのに参加したときのことを話すね。キリング・フィールド(注: ポル=ポト政権下での大量虐殺が行われた刑場跡)とかを訪れていろいろ考えたんだけど、ああいう大虐殺ってホロコーストとかも然りだけど、誰かを悪者というか怪物にしたがるというか。でもあんな悲劇は一人の人間にできることじゃないと思っていて、そこには協力した人とか、声を上げなかった「善良な市民」もいたと思うんだよね。無思考な彼らは加害者になった。だから研修を通して、どうしてああいう虐殺が起こるのかっていうメカニズムを考えるようになったかなぁ。
研修の中では地元の人と交流する機会もあったけど、カンボジアの人たちって、たった数十年前にあんな悲惨なことが起こった国で育ったとは考えられないくらい優しい人たちだった。それがすごく衝撃的だったかな。

ーなるほど。ちょうど昨日、私も虐殺のメカニズムについて書いた本を読んだばっかりだった!『虐殺のスイッチ』っていう。まさに善良なはずの市民がなんで虐殺に加担してしまうのかっていう内容だった。無思考っていうのもそうだし、社会不安があると人間は特定の敵を作ろうとするよね。例えばユダヤ人迫害とか。

それもあるな。あと別の側面として思い浮かぶのは、近代の人々は自由にある意味苦しんでいるってよく言われていて。例えば昔は血縁的・地縁的な共同体がしっかりあって、その規範に従ったしっかりとしたアイデンティティに基づいて生活していたんだけど、近代になるとみんなが「均質な大衆」になっちゃったじゃん。だから自分が何者なのかが曖昧になった結果、強いリーダーやカリスマ的指導者に身を委ねるんだと思う。それによって身に余る自由からある意味で逃げようとしているのかな、と。そうなると、考えることをやめて強い影響力を持つ人に盲従してしまう。

ー確かに。ちょっとずれるけど、SNSも人々の均質化に加担しているよね。今は老若男女誰もが情報の波に流れに身を任せているというか。このインタビューこれまでに数人に協力してもらってるけど、みんなSNSの話に繋げる。

そういう意味ではこの時代はSNSとともにあるから、切っても切れない存在なんだろうね。

ーあまりにもこの数十年で情報が身近になりすぎていて、人々がその使い方について行けてない部分があると思うから、メディアリテラシーって大切だよね。

確かに付き合い方は大事だね、あずさちゃんがしてるみたいに考えを広く発信することもできるし、人を攻撃するツールにもなり得る。諸刃の剣だよね。ただ情報を受け取るだけじゃなくて、対話を通して自分とは違う考えを持つ他者と交流する中で、自分の軸を形成していくことが大切だと思う。


 賢い彼の語彙力に圧倒されながらのインタビューだったけれど、同じ広島出身としてやはり平和に対する意識の高さを感じた。「均質な大衆」である私たちは、しっかりと自分の頭で考え、自分なりの軸を持って社会と向き合っていかなくてはいけない。


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