カオスパーティーは突然に
※お生理に関することを書いておりますので、苦手な方は、ご注意ください。
2回目のnoteにも関わらずディープな話題で申し訳なさでいっぱいです。
でも、これによって数日間の気力をかなり削がれたので、書かなきゃ損かなと思って書く。
この世でどうしても苦手なものというのがわたしにもいくつかあって。パクチーとか、黒板をキィって引っ掻く音とか、高所とか。
あとは、少し特殊かもしれないけれど、好きなひとの前で食べるご飯とか。
わたしは非常にネガティブで、いつでも最悪の事態を想定してしまうという、哀しいクセがある。
それゆえ、好きなひととご飯を食べる前は必ず、自分がむせて、おええええと苦しんでいる有り様と、そんなわたしを見て顔を引き攣らせている好きなひとを想像してしまうのだ。
よって、好きなひととご飯を食べるのは、この世で2番目に苦手だ。
これが2番目ということは、これをも上回るものがある。しかも、大差をつけて。
そう、わたしがこの世で苦手なことランキングぶっちぎりの1位は、生理前の数日間。
わたしは、生理前になると、持ち前のネガティブに、拍車がかかる。卑屈になる。病んでしまう。
好きなひとの前で咽せないためには、最大限咽せる要素を排したものを食べるという選択ができるが、これにはなす術がない。
できるのは、信じられないくらい落ち続けていく気分を、他人事のように眺めるのみだ。
理性で感情を制していこう主義のわたしだけれど、どうあがいても太刀打ちできなかった。
気づけば、泣いている。とてつもなくしょうもないことで。
普段なら気にも留めないようなことで号泣してしまうので、日常生活に支障しかきたさない。
こんなことでは、毎月のうち1週間は使いものにならないということで、1年ほど前から、婦人科で低量ピルを処方してもらっていた。
3ヶ月前までは。
ピルを飲み始めて以降、生理前であっても、情緒がかなり安定するようになっていた。
この世で苦手なものランキング1位だった頃の影は、もうなかった。圏外とまで言えるほど、その地位は失墜している。
3ヶ月前にピルが切れたのだが、その頃からわたし史上最高の忙しさを記録しており、なかなか婦人科に行くことができずにいた。
けれども、その3ヶ月のあいだは忙殺され、わたしのメンタルなどに構っている暇は無かったので、わたしは不遜にも「お、ピル無しでもいけるのでは?」と余裕をカマしていたのだ。
そんな自分を殴ってやりたい。
フラグが、これでもかと言うほど、分かりやすく立っている。
これから起こることを知らない愚かなわたしは、1週間近く前、今思えば生理前メンタル開始ドンピシャの時期に、noteを始めた。
noteにつらつらと思いの丈を綴り、Twitterではひとのツイートを見るためだけに使っていたアカウントでも、細々と呟きはじめた。
わたしが初めて書いたnoteが、大袈裟にバズったわけではない。
わたしのTwitterのフォロワーが、桁を違えるほど増えたわけでもない。
なのに、なんにも書けなくなった。
上の空になった。腑抜けになった。
なにを読んでも、斜め読みでしか読めなくなった。
大好きだった日記も、エッセイ風に書いたりしていたのに、ただの日記としてしか書けない。
動揺した。
こんな簡単に自分は揺らいでしまうのかと。
ただ少し、「見られている」と意識をしてしまうだけでこんなに思考は止まるものなんだと。
そして、不安に立ち尽くした。
わたしは将来、書く仕事に就きたいと思っていて、あのnoteが、夢へのほんの1歩になるはずだった。
直接的に夢へは繋がらずとも、ひとに自分の文章を読んでもらえる、よい機会であるはずだった。
わたしの憧れのひとに反応して頂いたお陰で思っていたより沢山のひとに読んでもらえてスキも貰えて、嬉しかった。
なかには、わざわざわたしに感想を伝えてくれるひとだって居た。
けれども、わたしは、初めて感じる、胸が詰まったような気持ちに覆われていた。
どうしてなのだろう。
毎日なにかしらを書き、毎秒なにかしらを考え、そうして暮らしてきたのに。
いまはただただ、泣きそうな締まりのない顔をして、流れるままに過ごすのが精一杯で。
こうして、ひとつの不安がいくつもの不安を呼び、雪だるま式に増えていく。
最近は忙しさも落ち着き、というか、恐ろしく暇になった。
家族以外の人間に会うこともほぼ無かった。
そして、その間、詳しくは書けないがもう1度、一か八かの勝負をしなければいけないことに決まった。また1年間わたしは独りになることも。
それらが最悪の相乗効果を発揮して、わたしの情緒は、下振れで固定された。フラグの大回収である。
そんな時、友達に会えたり、なにかしら活動できたりしたのならば、また違ったと思う。
が、先述のとおりだったので、気を紛らせるものは、
推し以外になかった。
わたしの【推し】は、複数いる。
今回、なよなよメンタルのわたしに選ばれたのは、わたしが愛してやまないKPOPグループのメンバーだった。
何で好きなん?と聞かれても、好きやから好きやねん、と答えるしかないくらい好きな推しだ。
ある程度予想がつくひともいるかもしれないが、いまから失礼なことを結構書くので、名前は伏せておく。
わたしは盲目的に推すことは避けたくて、適度に理性を保ちつつ、楽しく推したいタイプだ。
当然であるが、推しである前に推しだってひとりの人間だし、わたしと推しは、アイドルとオタクの関係にすぎない。
更に、ひとりの推しに依存しすぎないよう、好きという気持ちを分散させることや、推しが生活の主体とならないように実生活を充実させることを意識しつつ、オタクをしてきた。
しかし、その推しは、常時わたしの信条をぶっ壊しかけてくるので気が抜けない。
間違っても、生理前に精神安定剤として縋っていいものではない。
嫌な予感しかしない。
わたしの脳内を占拠する各種の不安を和らげるため、わたしの脳みそ全体を、うっすらと推しが覆う。
TwitterもInstagramも、推しで溢れているので、見ているだけで、推しを過剰に摂取することになる。
暇を持て余すと、どうしてもスマホに手が伸びる。
必然的に、わたしは、四六時中推しのことを考えるようになった。
大好きなユーミンの曲を聴こうが、翔んで埼玉を見ていようが、松本隆がTwitterをしていることを知り、心底驚いていようが、推しが必ず、思考の片隅にチラついている。
ここまで来れば、完全なる依存だ。
ちなみに、限界推し依存状態となるまで、24時間も要していない。恐ろしすぎる。
推しに依存していることは、薄々どころかはっきり自覚していた。
これではいかん、と思いながらも、その依存からいかに脱却できるのかが分からない。
時折、推しへの気持ちが昂りすぎてイライラしている自分を感じて驚き、その度に危機感が募る。
やばいやばいやばい。
この頃、生理周期にバラつきがあり、一定ではなかったため、そのときは、生理前だということに思い至らなかった。
何の前触れもなく、突然にカオスな精神状態に陥ったので、わたしは何よりもそれが不安だった。
焦燥感に駆られたわたしは、暴挙に出る。
なけなしの韓国語能力を使い、わざわざNAVERという韓国の検索エンジンで推しの熱愛説を調べたのだ。
訳がわからない。
推しへの依存を断ち切るために、推しの熱愛説を調べてみようという思考は、今となっては本当に訳がわからない。
たぶん、リアコなるものを拗らせてしまいそうだったので、それを防ごうとしたのだと思うが。
検索窓に推しの名前と熱愛説という文字を打ち込んで、地雷原へ飛び込む。
数々の芸能人の熱愛説を分析したと謳うサイトにたどり着き、そこでは、推しの熱愛説もしっかりと分析されていた。
韓国のクレヨンしんちゃんにも満たないほどの拙い読解力で、真剣に記事を読み込んだ。理解できなかった部分は、最強の翻訳機であるPapago翻訳にお世話になる。
果たして。
眼前に叩きつけられた僅かな証拠(と勝手に呼んでいるもの)と、それを裏付ける資料(以下同文)に、わたしはめちゃくちゃショックを受けた。
あまりにも鮮やかな自爆。こんな思い切りの良い自爆が他にあるのかと問いたい。
真偽も不明だし、デマであればそれは決して信じるべきではないのに、信じ切ってしまった。
自分で勝手に追い討ちをかけて、号泣スイッチON。
推しへの依存を断ち切る代償は、あまりにも大きかった。
まだ20時だというのに、夜中にベッドで泣くくらいのテンションで、わんわん泣いた。
ほかに抱えていた不安などが霞む勢いで、記事に書かれていた文章が、脳みそにて踊る。
各種SNSで推しを見ることすら辛くなりTwitterや Instagramを断つことを試みた。
Instagramは難なく断てたものの、Twitterを数時間断っただけで、息が詰まった。
推しへの依存を断ち切ろうと焦っているのにTwitterとはズブズブの関係だが、それはそれで良い。
仕方なく、推し関連の通知は全て消し、愉快な京大生のアカウントのみ通知を入れて、通知センターでそれだけを見るという対処をした。
その日は、どうやって寝たのか覚えていない。これ、おとといの話なのに。
そして、昨日。
おとといの夕方、わたしが自爆を遂げる前にコロナワクチンを打ちに行ったので、副反応の倦怠感とともに目を覚ました。
腕も痛いなあ、頭も痛いなあ、節々も痛いし、怠いなあ。
寝起きは、思考が飛躍する。
もし、このまま幽霊になったら、推しのところに飛んでいけるかなあ。
でも、幽霊になったらこの世に未練感じて辛いかなあ。
いや、そんなことないか。所詮わたしなんて才能もないくせになまけものやしなあ。
幽霊くらいがちょうどかなあ。
あまりにも飛躍しすぎである。
生理前のネガティブと卑屈さと寝起きの混沌を詰め込んだみたいな思考だ。
幸か不幸か、昨日はそのまま、高熱によりトドのように寝ることしかできず、まともになにかを考えるなどできずに1日が終了した
うんうん高熱にうなされながら夜を過ごし、気づけば今朝が来ていた。
そして、突如始まったカオスパーティーも急転直下の幕切れとなった。
6時半ごろ、頭痛が完治していないのを感じつつ、身体を起こした。頭、まだ痛い。ヤダ。
むむむ?なんで起きた?と首を捻っていると、下着に、生理感満載の感触を得た。明らかに生理だ。
ぎょえええと慌てて布団が汚れていないか確認し、すぐさま下着を変えて、生理の友を身につける。
副反応もまだ収まっていないのに、ツイてないなあとベッドに戻って布団を被り直しているとき、気づまり感が大分軽減されていることに気が付いた。
推し以外の不安は雲散霧消に近いほど無くなっているし、若干の後遺症は残っているものの、推し'sショックも7割5分方は消えている。
そこで、ここ数日間のメンタルのへたれ具合と思考のカオスさに合点がいった。
すべては生理前のホルモンバランスのせいだったのだ。
再び、生理前の数日間が、この世で苦手なものランキング首位を奪還した。
やっぱり、また婦人科に行って、ピルを処方してもらわなければいけないな。
そして、思った。
情緒が不安定な時に、不確実なものに頼るのはマジでダメで、さらに、何をしでかすか分からないので、普段と異なる行動は、全力で慎むべきである、と。
ま、そんなん重々承知だけども、情緒が不安定だからこそ、そういうことしちゃうんだけどね⭐︎
改めて、やっぱり情緒の安定は大事だなあと思ったというお話でした。
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