弥生時代の中国と日本
採集生活から稲作に日本が変化するきっかけとなった
出来事を覚えているでしょうか。
中国から九州に稲作が伝来したことです。
伝来したってことは、中国との関係があったってことですよね!
では、弥生時代には、
中国はどんな時代だったのでしょうか?
弥生時代の中国
中国王朝の冒頭を覚えているでしょうか。
殷、周、秦、漢、三国、晋
(もしもしかめよ、かめさんよ)
↓中国王朝の覚え方はこちら↓
弥生時代が始まって、200年ほど後の紀元前3世紀頃、
春秋・戦国時代でした。
紀元前221年に秦が中国史上初の統一王朝になります。
史上初の『皇帝』となった始皇帝は中央集権の国づくりを
推し進めましたが、死後には、抵抗と反乱にあい滅亡します。
秦の滅亡後、『漢(前漢)』が中国の統一王朝になりました。
23年には後漢によって倒され、その後、220年まで後漢が支配しました。
後漢の滅亡後は、魏・呉・蜀が並びたつ三国時代になります。
倭の女王卑弥呼が魏へ使者を送ったのは、
三国時代の終わりが見え始めたことです。
弥生時代の700年間は、中国が大きく変革した時代と重なっています。
中国の戦国時代は、鉄器が本格的に普及し、耕地の開拓が進み人口も爆発的に増加しました。その結果、戦国の時代を招いたとも言えます。
こんな中国の時代の中で、日本について書いてある中国の歴史書があります。
テストによく出るので、覚えていきましょう!
漢書地理史(かんじょちりし)
『紀元前1世紀ごろ倭人(日本人)が100余りの小国をつくり、一部の国が朝鮮半島の楽浪郡に使いを送っていた』と日本について記載されています。
<楽浪郡ってどこ??>
漢の時代に楽浪郡は、朝鮮半島支配の拠点として存続し、後漢でも引き継がれた。
後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)
『1世紀の中頃、倭の奴国の王が後漢に使いを送り、皇帝から金印を授けられた』と日本について書かれています。
➡︎皇帝から『漢委奴国王』と刻まれた金印を授けられました。
<奴国ってどこ??>
現在の福岡県博多地方と推定されます。
金印が江戸時代に志賀島(福岡県)で発見されいます。
【魏志倭人伝(ぎしわじんでん)】
卑弥呼や邪馬台国について書かれており、『239年から卑弥呼が何度か魏に使いを送り、魏の皇帝から親魏倭王の称号と金印、銅鏡100枚などが授けられた』と日本について書かれています。
<邪馬台国ってどこ?>
3世紀に30余りの小国が連合して成立した国です。
場所は、畿内説と九州説が有力ではあるが、諸説あります。
ということは『わかってない』ってことですね!
中国歴史書日本についての記載まとめ
漢書地理史(かんじょちりし)
紀元前1世紀ごろ倭人(日本人)が100余りの小国をつくり、一部の国が朝鮮半島の楽浪郡に使いを送っていた。
後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)
『1世紀の中頃、倭の奴国の王が後漢に使いを送り、皇帝から金印を授けられた』
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)
『239年から卑弥呼が何度か魏に使いを送り、魏の皇帝から親魏倭王の称号と金印、銅鏡100枚などが授けられた』