学校に通う?通わない?問題【不登校という選択肢】
おはようございます。”おこめさん”です。
今日から少しずつ長女を保育所に通わせることになります。
(今日は11時くらいまで)
その分、仕事ができる時間が徐々に増えていくわけですが、早速今日の9時からクラブハウス内で二回目となるルームを立ち上げます。
お題は「みんなが思う理想の教育について」です。
それぞれが理想をもつ教育という分野での対話には気づきがたくさんあります。自分の中での納得解をさらに深めるためにも今日のルームを立ち上げます。
もしお時間あう方はご参加ください!
そんなこんなで今日の本題は、「学校って行ったほうがいいの?」です。
久しぶりの学校では教えてくれないシリーズです。
もしよければ最後までお付き合いください。
おこめさん→教員10年の後、4月から独立、6月からオンライン塾を開校予定。2021年3月末まで半年間の育休取得の2児のパパ。
義務と権利
よくこういう時に話題にあがるのは、「義務教育」の義務という点です。
これはそもそも、保護者が子どもに対して9年間の普通教育を受けさせる義務があるということで、子ども自身が教育を受ける義務がある、というわけではありません。
子どもに与えられているのはあくまでも教育を受ける「権利」です。(子どもに限りませんが)
では、保護者は引きずってでも学校に連れて行く必要があるのかというと、そうでもありません。
ここでいう義務とは、法的な手続きなど、子どもが学校に通えるように最低限の条件を整えているという点です。
その点でほとんどの親は義務を果たしているといえるのだと思います。
(学校に通わせずに家のために働かせるのがダメということ)
学校に行ったほうがいいの?
ぼくは学校には通った方がいいと思います。
その理由として、学校で経験できることが多岐にわたり、それらを家庭だけで補填することが極めて難しいと感じるからです。(そしてぼくはこれらの経験が大切だと思う)
世間的に不登校が増えているから、学校に行かなくてもいいでしょ、と安易に考えてしまうのはよくないと思います。
学校で経験できることを考えてみます。
・身体能力の向上(部活動、体育)
・部活動で、上下関係を学ぶ(すべての部活動ではない)
・誰にでもいいところはある、という点を学ぶ機会がある。
(自分には合わないと思う人でも行事などを通していい面を知れる機会がある)
・人との揉め事の中で、その処理の仕方、その後のやりとりの仕方を学べる
・人と一緒に何かを作り上げる経験ができる(文化祭や体育祭)
・人の感じ方の違いに生で触れる機会がある
・リアルな場でのコミュニケーションスキルが磨かれる(特に1対多数)
・授業内で一つの問に対して様々な視点からの意見を聞くことができる。
(多様な価値観)
・授業内で議論することができる。(納得解を導くスキル。)
etc..
これらの経験がすべての人にとって100%必要とは思いませんが、これらが必要だと感じる場合、学校に通うというのは有効な選択肢になると思います。
これらを補填するとなると、そのために親が時間を捻出したり、それらを委託できる機関を探したり、そこに支払うお金を工面したりする必要がでてくるからです。(学校の授業料は無料)
また、小中高で学べる機会というは一生かけても取り戻すことができない時間です。
制度上できたとしても40歳になって 高校に通う
となっても、そのときには40歳の大人として付き合われてしまい、本来経験できることとは違うものになってしまう。
二度とその時間を取り戻すということができないわけです。
ただ、上記以外のことは普段から家庭で学ぶことができるのだと思います。
いわゆる、一斉指導型の授業が学校で行われているのであれば、その点においては家庭でも十分学習可能です。(YouTubeや個別塾など)
ただ、それが学校内で「議論されるような授業」、「みんなと一緒に一つの解を探していくような探究型の授業」が行われているのであれば、話は別です。
ここで得られる体験とは家庭で一人で学習していては得られないものだからです。
探究型学習をすすめる塾もできてはきましたが、特に学校という場所は、様々な背景を抱えた様々な学力の子が通います。意見の多様性、生き方の多様性という点では学校の方が富んでいる場合が圧倒的に多いです。
その点で、これからの学校の授業が進化すればするほど、より学校に通う意味は出てくるのだと思います。(一斉指導型であれば代替可能なんですよね。)
そもそもこんな経験はいらない
という判断をして、学校に行かないという選択をすることもあっていいとも思います。
でもそれは、学校に行くことでどんなことが得られる可能性があるのか、それがどう人生に関わるのか、そんな点を理解した上での選択であるべきだと思います。
学校に通わなければ、その良さも見えてこないからです。
だから、それらを踏まえた上で、親が子どもと一緒に考えて、最終的に本人の意思を尊重してあげるというのが大切なことなのだと思います。
苦しくて通いたくない
学校での集団生活や友達付き合いにおいて、苦しい経験をして、学校自体に通いたくない
って子に無理に通わせる必要はないと思います。
その子にとって、得られることよりも失うものの方が多いということですから。
学校に行かないといけないという部分で、苦しみを抱え、自らを責めてしまうのであれば、行かないという選択肢をとった方が遥かに健全です。
大事なのは、自分の人生を幸せに送ること、そのために自分の心を健全に保つこと。
なので、子どもが毎日苦しんでいるのに、無理矢理に学校に行かせるというのはしなくてもいいんじゃないかと思います。(むしろ、その子の気持ちに寄り添ってあげる。)
おわりに
もうすぐ6歳になる長男が保育所に行きたくないと口にすることもあって、将来不登校になったらどうしようか、と夫婦で話をする機会がありました。
子どもがなぜ行きたくないと思っているのか、その本音にきちんと耳を傾けることが結局は一番なのだと思いました。
苦しんでいる子どもに対してできる最善のことを親としてはしてあげたいからです。
そして、家庭こそが子どもが嫌なことが嫌だと言える場で有り続けたいと感じました。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
いつも スキ いいね コメント ありがとうございます。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
ブログ こめたか
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