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私を全肯定し続けた貴女がいなくなった今
私は生まれてから今までに、一体どれだけの人と関わってきただろう。
家族、パートナー、友人、知人、路上で出会った見知らぬ人、SNSでほんの少し関わった人…
誰と関わっていても、「否定された」と感じることはあったりする。
言葉や態度で明確に否定されることもあれば、彼らにその意図がなくとも、私が勝手にそれを感じてしまうこともあったろう。
そんな中でただ一人、100%自分を肯定してくれているような、自分の全てが受け入れられている、そんな感覚を与えてくれるような人がいた。
それは私の祖母だった。
母方の祖母である彼女との付き合いは幼少から始まり、彼女には事ある毎に世話になった。
色々な場所へ連れて行ってもらって、いつもいつも遊んでもらっていた。
彼女が送り迎えをしてくれていたから、嫌いな習い事へも行くことが出来た。
クリスマスから誕生日、年末年始にその他私の入学卒業といった節目節目のイベントでも、ただただ私の全てを肯定し、祝福してくれた。
彼女に怒られた記憶もなければ、文字通り、何かを否定されたことがなかったように思う。
『ドラえもん』に出てくるのび太のおばあちゃんを見ると、「流石に甘すぎじゃないか?」なんて思ったりもするのだが、振り返ってみると私の祖母もあんな感じだったように思う。
いつ会っても私の容姿を誉めてくれた。
受験に合格すれば、誰よりもそれを祝ってくれた。
「私の好きな勉強をしているだけだ、これを努力と言って良いのか?」
そう思ったり、そんなようなことを言われる私をただ、「偉い」と言い続けてくれた人だった。
と同時に、私に与えられた環境について、「有難いわよねえ」といつも私に問いかけるように呟いていた。
「周りに感謝しなさい」とは言わない。
「貴方なら分かってると思うけどね」、そう言わんばかりに、五月蝿いことは言わない。
けれどもどうにか伝えておきたかったのだろうか。
私の全てを見透かしていたのだろうか、彼女の言葉は自然と私の心を貫く。
今も全くよろしくはない両親との関係だが、彼女がいなければより悪化していたに違いない。
傲慢な私が他者への感謝を忘れないようにしてくれたのだろうか。
彼女自身は戦時下の経験もあり、十分な教育は受けていない。
それでも聡明で博識で、一人で富を築く自立した女性だった。
そんな彼女が老人ホームに入居したのも、家族に迷惑をかけたくなかったから。
祖父はもっと昔に亡くなっていたし、自分の子供に、孫にも迷惑をかけたくなかった。
自分の貯金で老人ホームの費用は賄えるし、その上子供に財産を遺すことまで考えていた。
最近では会う頻度もめっきり減っていた彼女の容体が急激に悪化したのが3日前。
すぐに会いに行くと、彼女はひどく痩せていた。
齢90を過ぎた彼女は近年どんどん痩せてきてはいたものの、今回はまた一段と細くなっていて、その姿を見るだけで私は泣き崩れてしまった。
3日前に祖母についての報せを受けてから、昨日祖母が亡くなって、そしてこの記事を執筆している現在朝方に至るまで、なにかふとする度に涙が込み上げてくる。
心残りがないと言えばそれもまた違うが、最後に会えて良かった。
本当は、彼女が望んでいたならば治療を行い、延命することが出来た。
でも彼女はそれを望まなかった。
3日前に会った際、説得出来るかもしれないと私は思っていた。
しかしそれも失敗に終わり、それでもまた日が過ぎれば考えが変わるかもしれないと思っていた矢先、すぐに別れの時が来てしまった。
彼女が見ていた世界は、私には推し量り難い。
小さい頃から気丈に振る舞い続けたのだろう。
聞く限りでは相当に辛い経験を積んでいる。
夫は亡くなり、妹を先に亡くし、妹の夫もまた先に逝った。
幼少から裕福ではなく、とにかく頑張り続けた。
繊細な気質も相まって考え過ぎることも多く、心を病むこともあった。
まあ、疲れたのだろう。
「もう楽になりたい」
彼女がそう思い、その願いが成就したと考えれば、まあよいと言えるだろうか。
「心残りがないと言えばそれもまた違う」
私がこう言った理由はここにある。
「もっと生きたい」
彼女がそう思えるような世界を、私は彼女に見せることが出来なかった。
今思えば私の自己肯定感は、彼女が大部を創りあげていたのかもしれない。
そんな彼女に、私は何を与えられただろう。
『人間関係は、お互いにメリットがなければ維持し難い』
私はこう考える。
数値化できるメリットであれば話は簡単だ。
金銭の授与などはシンプルだ。
金は絆を繋ぎ止め得る。
ではそんな実利が見えにくい例ではどうなるか。
「あの人といると気分が落ち着く。」
これは十分なメリットに成り得るが、その関係が崩壊してから気付かされる、認識されるようなモノになるのかもしれない。
少し話が逸れたが、私は彼女といると、いつもすぐに眠たくなった。
それは私の母も、私の弟も、亡くなった私の愛犬も同じで、祖母の周りではなぜだか皆眠ってしまう。
安心感があったのだろうか。
私は彼女から、物理的にも精神的にも、多大なサポートを受けてきた。
そんな私が彼女に返せたことがあったのか。
彼女の孫である私は、彼女の娘である母とどのように違うのか。
どんなことを考えていたのか。
聞いてみたいことが、教えてほしかったことが沢山ある。
亡くなってしまった今、不可逆な現実にこそこれを思う。
まあいろんなことを思うわけだが
貴女の娘と息子がいて、貴女の娘の子である私がいて
ヨーロッパに連れて行きたいと常々言う私がいて
それでも足りないのなら、他にもまだ生きるだけの理由を探して
貴女を生かしておきたかったと思うのは、ただただ私のエゴでしょうか。
「もっと生きて」
ただシンプルに、赤子のように駄々をこねれば良かっただろうか。
まあ私はいつまでも死者に執着するタイプでもない。
腹は減るし、眠くもなるし、いっぱい泣いても、そのあとすぐにまた笑ったりする。
それでも、誰かが亡くなってこんなに感情を揺さぶられることも、今まではなかった。
安らかに、幸福に。
天国というものがあるのなら、そこで彼女が楽しく過ごすことを。
ありがとう、私は今日も生きますよ
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