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教え子と再会した話

私は、大学を卒業してから中学で約3年間、教諭として働いていました。
今思うと、学校/教諭という世界はとても特殊だったように思います。

1.  毎日10時間労働に休日祝日なんて期待できない
2.  先生という人々が集まる、独特な環境・・・
3.  外から、見えないわからなくて、わかりにくい
4.  過酷な条件なのに、やりがいとエネルギー、笑顔が集まる場所がある
 
若かったということと世間知らずの英語教諭ということが原因なのでしょう。????と思うことは、発言するし、聞くし・・・。教員の世界では、厄介者だったかもしれません。生徒指導。特に服装指導には、やたら?????????????でしたし、私の??????が上手く伝わらないモヤモヤ。「だから、アメリカ留学者は」って言われる痛恨感。でも、若かったのでどうにか持ちこたえていたのでしょうか。
 
さて、本題に戻ります。
 
先週、教員をしていた3年という少ない期間での教え子と再会しました。ばったり、道で!というわけではありません。彼女から、会えませんか?と連絡があり、すごくうれしくなって、もちろん、即OK!
 
再会した教え子は、私が担任していたわけではありませんし、彼女の直の部活動顧問でもありません。英語はほんの1学期のみ教えただけ。なぜ、連絡が来るような関係なのか。
それは、最近よく議論される「部活」です。
彼女の顧問ですらありませんでしたが、私は、同じ競技の部活の「男子」の顧問をしていたわけです。この競技、試合数が多い上に、私の受け持つ男子チームは県で優勝するようなチームでした。誰も顧問を引き受けず、若かった私はほぼ自動的に顧問を任されていました。彼女の所属する女子チームの顧問の先生は、この競技に掛けているような熱血タイプで、非常に厳しいことで有名な男性教諭。対して、若くて、この競技に長けているわけではなかった私は、彼とチームの生徒と保護者から教えてもらいながらどうにかやっていました。「どっちが顧問?」なんて、中学生に言われるくらい、貫禄0。
 
そんな私を横から見ていた女子チームは、私にとてもなついてくれていて、私は教師というより、お姉さん的な感じだったようです。「生理が1か月こない。これって、部活のせい?」「彼氏持つなって、顧問に言われたけど、実は・・・」なんて相談は当たり前に受けていましたし、私にとっても、彼女たちは私が受け持っていた男子チームと同じくらいかわいい妹たちのような感じでした。
 
その中で、キャプテンをしていたのが、再会した彼女。
 
彼女は、二十歳になった時も連絡をくれ、バスガイドになったと報告してくれました。そして、あれから、10年ほどたった今。彼女が何をしているか???
 
小学校の教員になっていました。
 
どうやら、ガイドの仕事をしているうちに、教壇に立って授業をしてみたい!と思い始めたのだとか。そこから、仕事を辞め、学童などで働きながら大学に通い、教員免許を取り、今年が1年目らしい。
 
「教員免許をとって、職場が決まってから絶対に報告する人は、先生って決めてたんだよ!!」
 
キラキラしていました。私は、その言葉がとてもうれしくて、でも教壇に立つのをやめた自分を悪く思って謝りました。
 
今や彼女も30歳。大人でした。当時の学校の話に、今の彼女の話。ぶつかっている壁。どれだけ受け持っている子たちがかわいいか。
 
「先生が、赴任してきたときの挨拶、まだ覚えてるよ。なんか、他の先生と違う感じがかっこよくて、うわって思った。そしたら、めちゃくちゃ緩くてのんびりで忘れん坊なのに、先生なりのボーダーがあるって気づいた。今、自分が先生になって思うんだよね。私なりのボーダー、なんだろう?」
 
驚きました。間違いなく、かっこよかったわけでは、ない!ただ、生意気な若造で、フレッシュだっただけでしょう。私は、私なりのボーダーがあったような記憶はありません。しかし、当時の彼女たちには違って見えていたようです。
 
漫画ばっかり描いてて、宿題も授業も集中しなくて、オタクって呼ばれてた子に、私が「OMG!=Oh, my god!」。って、そっとメモを渡したことがあります。そして、その漫画少女が感動して、それを使うようになり、みんなも使い始めたという話。ある日、その漫画少女が違う先生に注意をうけ、他の子にからかわれていた時に、オタクが文化も経済も作ってんだよ!オタクであることを何で、からかう!?!?私は、頑張って追及してほしい!!って怒った思い出。覚えています。その漫画少女は、美術の大学に進学したとか。でも、正直なところ、私の行ったことが、よかったのか悪かったのかさえ、今でもわかりません。
 
今回、再会した教え子の目指すところは、これだけは!というボーダーを持つ教師だとか。残念ながら、教職を離れ、現在はアメリカの学校で事務をする私は、今の日本の学校があまりわかりません。私を目指すのは、危険なような気さえします。ただ、彼女と会えたことや昔とは違う、対等の「大人同士」として話せた時間が、本当に、うれしいしかった!この教員不足のご時世に、大変な世界を目指してくれたこと、今、彼女がとても輝いていること。誇りに思います。私、負けちゃってるなぁ。
 
教員を辞めてしばらくたち、現在はアメリカの生徒たちを見ている私。教員になるの、若すぎたなって思うことは非常に多いです。今ならもっと、ちゃんと教えてあげられるのかなぁとか、別の世界話してあげられるのかなぁとか思ったことは、あります。ただ、私は、あの職場環境にはフィットしませんでしたし、きっと今もなじめません。
 
でも、彼女に再会して、「出世払いって約束したの忘れたのぉ!?相変わらずだ、先生!。」っていいながらおごってくれたコーヒーとケーキ。格別で特別だった!
 
教員、大変だったけど、悪くなかったな。
 
あの仕事、未来と向き合ってたんだ・・・。

#最近の学び

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