「ギリギリ」といえばKAT-TUN

先日、内輪ノリをdisるnoteを書いた。
しかし決して内輪ノリを否定したいのではなく、外部の人を巻き込もうとするのがしんどいというだけなので、そこはご理解いただけますと幸いです。

白状すると、自分にも内輪ノリはある。
例えば友人が話の流れで「○○がギリギリで~」みたいなことを言うと、「KAT-TUNばりにな」と茶々を入れる。
それに対して「いや誰がアスファルト蹴り飛ばすんや!」まで返してもらえたら最高だ。

この茶々は、KAT-TUNのReal Faceという曲とその歌いだしの「ギリギリでいつも生きていたいから」や「アスファルトを蹴り飛ばして退屈な夜にドロップキックしたつもり」という歌詞を相手が知っていて初めて成立する。

その昔、平安時代の貴族は中国の故事を教養として学んでいたので、和歌にも故事が引用されていることが多い。
自分の気持ちをストレートに伝えるのではなく、故事からの引用を用いて説得力を持たせ、相手にこいつ教養があるなと思わせたら勝ちだ。
現代の、ラップのフリースタイルと同じだ。
いいパンチラインをキメたらクリティカルで勝利する。

これらは上述した茶々のような内輪ノリではなく文化にまで昇華されているので全く別物なのだが、構成としては近いと思う。
和歌やラップと違うのは、出す場を間違えるとウケないということだ。

仲間内しか分からない身内ネタとは違うので、初対面だったとしてもその人がReal Faceを知っていれば意味は通じるだろうが、笑ってくれるかどうかは別だ。
逆に、いくら仲が良くても相手がReal Faceを知らなかったら、なんでKAT-TUNが出てくんの?という至極全うな疑問が返されるだろう。
出すタイミングを誤ると、どのみちウケない。
平安時代なら絶望的にモテない。

要は、相手のことをそこそこ知っていて、箸が落ちても笑い合えるくらいに仲良しであることが大事な要素だ。
そこを外すと相手は愛想笑いをする羽目になる。

先日の話は自分にとっても反面教師になった。
また同じようなことがあれば愛想笑いでその場は凌いで、後からnoteに綴ろうと思う。

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