ヌコはいつか死ぬから飼えない

猫が好きだ。

ただ自分より早く死ぬ可能性が高いことを考えると、なかなか一緒に暮らすという決断に踏み切れない。
生きてるうちに想い出をたくさんつくるという見方もあるが、実際に触れ合う時間にはかなわない。

「自分より早く死ぬ可能性が高い」と書いたが、不慮の事故などで万が一自分が先に(しかも突然)死んだ場合、ごはんはどうする?トイレの交換はどうする?引き取り手がおらず保健所預かりになったらどうする?
最悪の事態が次々に思い起こされてしまう。

先日、夜道を歩いていると野良猫が目の前に飛び出してきた。
突然のことに驚き、避けて進もうとすると足に擦り寄ってくる。
さすがに野良猫に触るわけにはいかないのでそれも避けたのだが、そのままぴたりと並んでついてきてしまった。

正直、めちゃくちゃかわいかった。

連れられて猫カフェに行ったことはあるが、初めはなかなか寄ってきてくれなかった。
こっちからぐいぐい行っても逃げられる。
目の前でおもちゃを振っても、ぷいとそっぽを向かれる。
やがてだんだんと寄ってきてくれるようになり、撫でることができるくらいにはいい距離感を保つことができた。
お尻のあたりを軽く叩かれるのが嬉しいようでそこをずっとぽんぽんしていると、グェェというカエルのような声で鳴いてくれた。
来たときは何とも思っていなかったのだが、帰るころにはすっかり心を奪われてしまった。

そんな経験もあり、ものの見事に一目惚れしてしまった。
連れて帰ることこそできないが、せめて無事なところに送ってあげたいと考えた。
歩道に路側帯があるとはいえ車道はそれなりに往来がある。
夜ということもあり、急に猫が飛び出すと運転手も反応できないだろう。

まず考えたのは、車道から離れることだ。
いったん歩道から脇の農道に折れ、そこで撒く作戦を立てた。
しばらく歩いて猫が自分の前に出たタイミングでくるっと回れ右をした。
ついてこないことを確認すべくちらちら後ろを振り返っていたが、こちらの視線に気づいたのかそれとも足音がしなくなったのを不審に思ったのか、向こうもこちらを凝視していた。
そして目が合うと、そのまま向こうも回れ右をして駆け寄ってきてしまった。
何で置いていくのかと文句を言わんばかりにニャアニャア鳴いてくる。

そのまま200mくらいずっと並んで歩いていたが、けっきょく走って振り切った。
後ろを振り返って猫が見えなくなったことを確認したあと、強烈な罪悪感に襲われた。
人への警戒心が薄かったのでもしかすると元々は飼われていたのかもしれない。
そんな猫が野生でやっていけるのか。
ちゃんと食事はとれているか。
雨が降れば身を隠すところは知っているか。
もしかしたら帰り道、轢かれた猫を見てしまうかもしれないのではないか。
そんなことを考えだすとキリがないので、帰りは別の道を歩くことにした。

繰り返しになるが、猫はかわいいし好きだ。
だからこそ飼えない。
自分より絶対早く死ぬ。
想い出をたくさん作っても残されることが怖い。
いざ死んでしまったときにどんな喪失感と悲しみに襲われるのかと考えると、それなら初めからそういう関係を持たなければいいという考えに行き着いた。

近しい人間が亡くなるという経験が少ないからかもしれない。
親族では母方の祖父が亡くなったのみだ。
よく本やテレビの効果のひとつに疑似体験できることが挙げられるが、こればかりは実際に体験してみないとなんとも言えない。
祖父の骨を箸で摘んでいるときもなかなか実感が湧かずに涙こそこぼれなかったものの、もう会えないのだという感情が胸に残った。
アルバムで会う祖父は笑顔だが、触れないし話せない。

あの猫はどうなったのか知る由もない。
もしこれから考えが変わって猫を飼うようになったらまた報告します。

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