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哲学・日記・メモ「スポーツとは何か」

エクストリームスポーツは自分自身の挑戦を軸にしているから1人称あるいは無人称のスポーツだ。格闘技などは「目の前のあなた」を競技の対象としているから2人称の意味合いが強い。野球やサッカー等は、チームワークが必要であるし、ソーシャルな競技としての認識が強いからに3人称だろう。
スポーツと何か?
を問うてみました。

「スポーツとは何か」

スポーツとは何か。

頭脳スポーツと言う分類がある。囲碁や将棋。チェスやオセロを思う浮かべればよいと思う。

この頭脳スポーツと言う分類を受け入れるならば、すると、受験もスポーツなのだろう(私が受験生だった1970年代後半からは受験地獄と呼ばれるような、当時は暗記主体の受験にとっては「受験」とは皮肉にも「記憶スポーツ」であった)。

もはや身体だけがスポーツなのではない(これも「脳」を身体とみるか、「思考」を感性と捉えるかによって異なる見解になるが)。

とするならば、スポーツの定義とは「競う」事、それから「明確な勝敗の判断」となるのだろう。

この定義に則れば、スポーツはいたるところにあふれている。

職場の出世の努力はスポーツであるし、企業絵入りのだってスポーツだ。アカデミックな学術にだってスポーツが浸透しているし、コミュニティの中にだってそれはある。

スポーツとは何か?を問う努力はスポーツを自明視してその普及を志向する努力とは異なる。普及を悪いというのではないのだが、普及とは異なる、そもそもの「スポーツのスポーツ性」を明らかにすることは重要だと思う。

「普及」という概念に示される「ソーシャル(三人称)のスポーツ」とは異なる「スポーツのstyle」はあるはずである。その模索へとそれは向かうべきなのかもしれない。

果たして「ソーシャル(三人称)のスポーツ」とは異なるスポーツとはどのようなものなのか。

これを問うべきである。

「コミュニティ(二人称)のスポーツ」「在り方(一人称あるいは無人称)のスポーツ」と言うものがあるのだとしたら。

2023年12月26日 岡村





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