哲学・日記・メモ「アートや哲学は教育に導入できるのか」
アートや哲学は教育に導入できるのか
アートとは、目の前の「もの」に憑かれながらに「何ものかを成す」技術だ。絵なんて描きたくない。でも描かずにはいられない。制作なんて楽しくはないのに止める事が出来ない・・・そのように「もの」に憑かれながらも、「我を失わずに何ものかを成す技術」がアートなのだとしたら、アートとは決して楽しいものではないのだろう。
哲学も同じかもしれない。
哲学をせずにはいられない者は、いる。彼は問いを発し考え続ける。それが自分や誰か、社会にとって役に立つことではなくても、お構いなしに問い続ける。そうせざるを得ないからだ。彼は生活と暮らしの多くを犠牲にしながら、同じ問いを何十年も問い、考えを更新し続ける。まるで世界に憑かれて「哲学」しているかのようでもある。そういう者は確かにいるのだ。
いるのだとしても・・・果たしてそれを、つまり「アート」や「哲学」を教育に導入できるのだろうか。あるいは導入できるのだとしても、それはいったいどう事を意味するのだろうか。
2024年1月
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