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哲学日記・メモ

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2021年4月の記事一覧

雑考・メモ・日記 「インフォーマルであるという事」

雑考・メモ・日記 「インフォーマルであるという事」

●インフォーマルな活動は魅力であります。でもそれは簡単ではない。難しいと思います。                                ●その活動が認知され承認されることが簡単ではない、難しいと言いたいのではありません。インフォーマルであろうとする気構えが、とっても難しいという事です。                           ●というのも、フォーマルから外れたインフォーマルは

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哲学・日記・メモ 「絵画と音楽」

哲学・日記・メモ 「絵画と音楽」

絵画制作はミメーシス(模倣)から始まる。
そして、ミメーシス(模倣)が再認識だとしたら、絵画のモティベーションとは、そのよろこびであり、再認識と一体をなした驚きでもある。
としたうえで、もしそうだとしたらそれは、音楽とはだいぶ異なるもののように思えます。絵画は再認識とその驚きの為に対象との距離を不可欠に保とうとするのに対し、音楽はその距離を無くそうとする事に勤めて、恋焦がれるものであるように思えて

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哲学・日記・メモ 「音楽と絵画」

哲学・日記・メモ 「音楽と絵画」

●音楽は対象を持たない。それ故に、音楽は現象を超えた「宗教的なもの(≠宗教)」へどこまでも近づかんとする。そして対象を持たないが故に音楽は、さらに対象の束縛から解放された感覚の直接性・・・直接的な皮膚感覚や内臓感覚にその本源を見出していく。つまりその、直接性ゆえに人の五感+α(内臓感覚や平衡感覚も含めたもの)の中で最も意図的な変容が不可能な、内臓感覚=内臓のリズムを志向する。
●そしてそのような感

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哲学・日記・メモ 「複製技術時代の芸術・私が美大生だった頃」

哲学・日記・メモ 「複製技術時代の芸術・私が美大生だった頃」

1990年代。私が美大生だった頃。
ニューアカデミズムの余韻が残る大学生活で、ちょっと尖がってる美大生は必ず読んでいたベンヤミンの『複製技術時代の芸術』(読み込めていたかは不問)。まだ1990年代には真のものとして膾炙されていた「複製の普及によるアウラ」の消失は、2000年以降どうも違和感を覚えていたものでした。
むしろ芸術に限らず、あらゆる複製が普及し身近なものになる事によって、オリジナルのアウ

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