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【Writing】夕日は見えなかったけれど、そして近況

【Writing】夕日は見えなかったけれど、そして近況

久しぶりのnote。
最近は、写真の整理を続けている。古いものは2021までさかのぼる。
写真を整理していると、今までの自分が実に幅広い題材の写真を撮っていたことに気づかされ、驚くことばかりだ。頭の中でこれまでの自分の写真のテーマは多様に発散しており、自分の写真の「軸」に収束させていくことが難しい。

「自分の写真世界」というのは、一本の木のようなものだと思う。自分の撮影の軸となる大きなテーマが一つあって、それが木の幹にあたる。そして、大きなテーマからいくつもの小さなテーマが派生し、それぞれの写真がその小さなテーマに属している。小さなテーマが木の枝で、それぞれの小さなテーマに属する写真が葉である。この一本の木が何となくでも頭の中でできていれば、それは自分の写真を体系的に並べ、写真世界を構成できているということであろう。
つまり、いま私は、自分の写真世界の「軸」=「幹」を定め、そこから枝葉を広げるように、体系的に写真を並べることができずにいる。

とは言いつつ、一本の枝が見えつつある。それは、夕暮れの空である。
写真を整理していると、多くの写真は素通りするわけだが、夕暮れの写真はピックアップすることが多い。夕暮れの写真を気に入る理由の一つは、その刹那性であろう。夕暮れ(=夕焼け)は、刻一刻と姿を変え、二度と同じ夕暮れを見る日は来ない。そんな「二度とない刹那」を収めるのが写真の真骨頂であり、撮ったときにも振り返ったときにも手応えを感じることができるのだ。

夕暮れは、夕日が見えなくても美しいことがある。雲の合間から夕照の光が漏れ、雲に乱反射することで奇特な色の夕焼けが見えたときだ。夏は雲が厚く起伏に富んだ形になるので、特に夕焼けがダイナミックになる。夕焼けは夏の季語だとは、なるほど。
写真整理の最中に、そんなダイナミックな夕焼けの写真に目を留めた。2022年9月、福井県・越前海岸で見た夕焼けの写真である。どこまでも広がる日本海に浮かぶ孤高の夕日を期待していたので、海に出たとき、向こうに雲が広がっているのを見て残念に思ったことを覚えている。しかし、流れる雲の合間に光が漏れ続けることで変わり続ける色彩は常に偶発的であり、日常よりも自然のダイナミックさや神秘を感じる時間になっていたと思う。

下に挙げる3枚は、同じ日の夕暮れである。ほんの1時間程度の間に、ダイナミックに色彩を変えている。写真に刻むことで、一層変化の大きさがわかりやすい。

夕日は見えなかったけれど、いい夕暮れだった。そして、この夕暮れのような「刹那」を刻んだ写真が自分は好きなんだと気づいた、今日この頃である。
では、そのうちにまた、何かフォトアルバムをアップします。お楽しみに。





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