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ID20,これは僕のリアル

ID20。アイディーニジュウとよむ。この作品を簡単にレジュメのようにするとこんな感じだろうか。

ここはぼくの中の印象的な想像力そのもので、深い井戸なようなもの。ここで、なくて叶わぬいろいろな美徳や才能に思いを巡らせ、いたずらな気の世の荒波を乗り越えていくためにユーモアと軽快さを見出した。いっさいのフィルターや数字はぼくには関係なかった。ノスタルジーからリアルを抉り出した現在のコントラスト、静かなためらいと抵抗の心持ちを大切に、道もない森に入りそして遠くの野原をほっつき歩く。

この作品で最も意識した点はリアリズムの文体を身につけることである。今まで、この世界に素手で触れるために外部との接続を試み様々な凹凸を縫合する試みをしてきたが、一先ず、内側から抉り出した美学を話さなければ僕は何者でもないと考えた。基本的に前作のモチベーションの杵柄をとってそれで紹介されたみたいなことをずっとやっていくのは僕には無理だし、常に作品は作っていたい。インディー的な手探りから提唱できることはなんだろうと考えながら、透明な風のそよぎや内部の心象風景にメタファーを宿し、自分のことを語り耽美的に自身を追求しながら歌うことの楽しさにまだ見ぬ高鳴りを覚えた。

「無限に続くリアルと、物語の世界とは違うの。
  私が存在すら知らないあなたの本の中の世界では。」
心から愛しているわ なんて言葉は今は言えないな
自分騙すためのフィルターはすでにここでは正しいことなのかい?
(imsodigital)

以下に書かれているのは楽曲ごとの僕のステイトメント・思考でありリアルだ。CODEはPodcastにて話しているのでそちらも是非聞いて欲しい。


imsodigital

この作品に着手したのは前例のない負の春の流行の真只中で、自分と向き合う時間もできたし、とても良い機会だった。ただ自身の正義や愛や溢れるばかりの感情は、あまりにも私的だから以前からこのことを語ることはためらった。この感情を話すことは許されるだろうかと、このためにぼくはよく悩んでしまった。

ぼくはかつて君に話したつなぎの話を出まかせに喋り語ったことや、自分の周囲にあるいっさいのものが恍惚となったあの空間や、この上なくやさしい森陰を複雑な線を描いてなす山々、肌をなぜるような穏やかな凪、夕方やさしく揺らぎ始める風と時間にメタファーを宿した無限なる世界に注意を向けると、自分は広大な世界のちっぽけな自分だということに気づく。巨大な君からの尊敬をぼくの自然に抱きいれ、たぎりたつ豊かさのうちに自身が無限の世界のなんともいえぬものの姿がいっさいに活気を与えながら魂の中で蠢くのであった。
(ESSAY, okkaaa ID20, "https://www.okkaaa.com/id20")

溢れるばかりの感情を抱き、はっきりと事態を見通しているわけでもなしに、歌うことを。ただ、叶わぬいろいろな美徳や恋愛に思いを巡らせ、歌詞を書いた時、ぼくは胸がいっぱいになった。一つの心を左右するただ一つのぼくの心を頼りして、語りあかすのだと。目に見えないものが世界を動かしている。今まで感じた激しい怒りのような情動も風のそよぎのような愛しさも、愛がなければぼくは悲しい鳴るドラ、響くシンバル。幸も不幸もぼくらの心次第だということはまったく本当らしい。

ぼくは悲しい鳴るドラ、響くシンバル
ねぇほら 切なくて悲しいキスはもういらないの
(imsodigital)


IDO

もう何も必要なものはない
この街に飛び込む気にはなれないな
頼りない現実のありかの価値は
間違っても何処にも答えはない
このままここに留まるだけ
(IDO)

大きな問題、特にシステムその根幹となすような社会構造に直面したときって本当に考えれば考えるほど虚無感に襲われる。潮目を読んだ甘いセリフなんていらないぞ!と言い聞かせながらニヒリズム的に超克していくのは簡単な事ではない。

ただ、「突き抜けたニヒリズムはちょっと読んででてなんか元気が出る」っていう宮崎駿の言葉を思い出すが、今はただそれを自覚しながら進むことしかできないのだと思う。進まないと何も生まないこともわかっているから。ただその前に進む構造すらも、自分が新たな壁を生むかもしれない1人であるという危険性を孕む。自分の中にもバイアスは存在して常にそれに向き合うことはできるし、今は試されてるんだと思うしかない。まだまだ半端な僕が何を提唱できるなかなって考えたときにこういうプロセスや葛藤の孤独をちゃんと歌にすることが大事だと思うしちゃんと自分が思う正しい価値観を決めないといけない。僕がフィルターバブルの渦中にいると言うのはまったく本当らしい。

井戸に潜るように内部引き下がれ
Moving, Move yourself
今しかないよ
It starts right now …
(IDO)


Slow Field

想像力の境界線が家の中だけに押し留められる生活も1ヶ月も続くとそれが新たなノーマルになっていく。新たなノーマルを獲得しつつある現状を書き留めておくことは重要だと思うし、身体性を帯びた会話を失い、交通がなくなった今、書くという行為自体が前に進むための一つの答えなのだ。

絡み合う事情
色のないパッション
あかりのない幻燈はいらないの
(Slow Field)


歪んだ暗号に踊らされてる君 
これはなんの暗示?
置き手紙はいらないの
もうみたくないの
僕に迫ってくるの
禍々しいほど
(Slow Field)

全てのことは上手くはいかない。僕がこの曲でみている世界はあまりにも牧歌的ではあるけど、このニューノーマルや、新たな世界の文脈に自身を乗っけられるかと思った時、ニヒリズム的な思想を背負いながらもこの世界を片隅からしっかりと前に進みながら見ていたいと思った。経済は停滞していて、ライブやリリースパーティーがなく、アーティストでさえ沈んでいる現状に、僕らがそこから這い上がり、生き延びる方法、それはやはり芸術しかないのだと思う。遅い野原に身を委ねながら、速度の速い物質世界とコンピューティングの間から自身を救い出すのだ。

予期せぬ Midnight boy
I never wanna feel like that
未だ見ぬ世界は
Jumped into the water
思うままに
(Slow Field)

(twenty)sailing

20歳になり、徐々に大人への憧憬は損なわれていくのだろうかとか、そもそも僕は尊敬し敬愛する先輩方に近づけているだろうかとか、思い巡らせフワフワした気持ちで過ごしている。20歳になって成人と呼ばれて、社会から飛び出せと否応なく背中を押される感覚に馴染めずにいた。ただこの10代特有の泥臭いこみ上げる情動みたいなものは忘れたくないし、そういう感情の手探りはずっと大切にしていたい。(nineteen)swimを書いたときは、そんな漠然とした不安を書き連ねた。

19ドリームから見た全てを忘れていくようで、もがいて暮らしている
(nineteen)swim

頼りないこの現実を頼りにしながら19から20へと橋渡しをしてきた。10代はまさに闇雲に前に進み続ける、そういう意味合いにおいて”泳ぐ”感覚に近かった。ただ未だ見ぬ将来のことや、将来のことに思いを巡らせ、様々な人との出会いと経験の中で、やがて船を携え出航するという心持ちになった。1999年に生まれた意味をなぞりながら前に泳ぎ出し、作品にすることの意味を見つけたのだ。ノスタルジーからリアルを抉り出し、未来を熟考していたい、そんな僕のリアルが結実した作品だと自負している。

もう10代の少年じゃない
ことはわかっているけれど
今この思いをどう思いを伝えよう
あなたの隣にいるだけで
この長い物語の一部だと気付かされるの
[(twenty)sailing]

ID20,これは僕のリアル

今と接合させながら未だみぬ美徳や形式に憧憬を抱きながらも、自分と対話し、この今のリアルを拙いながらも紡いだ。個人を前提とした写実や印象派のような絵画的な心持ちがある一方、世界への接続を持ち合わせた感性を交差させるという意味で自他との境界線を超越した脱中心的な生物ニューラルネットの構造を持って自分を普遍化させることができるのではないだろうかと希望を膨らませながら様々な美徳に思いを巡らせた。この思考や歌が新たな世界へと接続するためのお役に立てればなと思う。


okkaaa



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okkaaa
他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。