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おっちょこな君へ  (南と小町の物語)その2小学校編


初めて小説(空想エッセイ)書きました。

1959年生まれの私❗️
懐かしさをお楽しみ頂けたら嬉しいです^ ^
どうぞ読んで下さい🤲

【小学校編】
運動会後のクラスの集合写真があった。
それはクラス対抗のリレーのあと撮ったものだった。
そう、私たちのクラスはそのリレーで優勝したのだ。
喜びに満ち溢れた級友の笑顔が眩しい。あの日の風が懐かしい思い出を連れて頬をかすめていった。
その集合写真の一番端っこに、誰よりも大きな口を開け左手を突き上げガッツポーズポーズをしている少年がいる。まるでこのリレーでのヒーローのように見える少年の名は南 陽太。クラスの皆から名字で「南」と呼ばれていた。
南は明るく元気なお調子者でクラスのムードメーカー的存在だった。
写真の中の南の右手はギブスで三角巾固定がしてあった。
さて、話が前後するが私たちのクラスは小学校最後の運動会のクラス対抗リレーで絶対に優勝しよう!!と学級会で話し合った。(学級会という響きが何とも懐かしい)
言い出しっぺは体育委員の南だった。
このリレーは私たちの学校名物の「全員リレー」というものだった。
全員リレーというのはその名の通りクラスの全員が必ず走るという決まりがあった。もう1つの決まりは400メートルのトラックを必ず3人で走るということだった。
ただし、走る距離は等分でなくても構わないということになっていた。例えば、走るのが得意じゃない子は50メートルで足の速い子がその分をカバーして250メートル走り次の子は100メートルという感じである。
走る距離も順番も男女混合で、それぞれのクラスで決めるというものだった。
生徒の自主性とクラスの絆を強くするため先生は口を出さないことにもなっていた。私たちのクラスも南を中心に作戦会議を行った。
それぞれの走りたい距離の希望を聞き、走る順番をどうするか等、小学生なりに
一生懸命話し合った。
アンカーは学年1の俊足の南が引き受けた。南が居ることで私たちのクラスは何かあっても大丈夫だろうちょっと余裕があった。そして私の順番は南の前を走る女子のアンカーになった。これでも小学生の頃はかけっこが得意だったのだ。(今では信じられない過去の栄光である)
ラストをツートップ(自分で言うのもおこがましいが・・・)にし、走るのが得意な子と苦手意識のある子を男女混合で順番に組み入れ、全員納得のうちに走者順は決まった。
南は「よーし、俺たちのクラスはサンドイッチ作戦だ!!みんな他のクラスにはこの順番は絶対に内緒だぞ」と鼻息荒く言った。
サンドイッチ作戦!!南にしてはセンスある名前ではないか!!
クラスの全員が同じ秘密を持ったような気分であった。
それから運動会までの2週間、私たちはバトンの渡し方や腕振りなど他のクラスの様子も探りながら練習をした。
「きっとウチのクラスが優勝だよねー」みんな口々に言って当日を迎えた。
私は、いつもより早起きをした。キッチンでは母が、お弁当に入れる唐揚げを作っていた。その香ばしい香りでご飯が3杯食べられる気分だった。
今日は体操着での登校だ。私は運動靴の紐をぎゅっと締め家を出た。
グランドにはたくさんの白線が敷かれ、私たちが描いた世界の国旗がはためいていた。
校庭の周囲はビニールシートやゴザが敷かれ保護者の姿もちらほらあった。青い空にぽっかり浮かんだ雲の白さが眩しかった。
私はワクワクしながら教室へ入った。
「おはよーーー」私の声に麻里ちゃんが振り向き駆け寄って来た。
「小町ちゃん、大変!!あのね、南くんが右手を骨折しちゃってリレーに出られなくなっちゃったんだよ」と言った。
「エーーーーーっ!?」(何やってんのぉ、あいつ…)
教室を見回したが南の姿はなかった。
「やべえな、あいつがいないと1組に勝てないよな」委員長の恒夫君が言った。
その声にみんな黙って頷いた。麻里ちゃんはもう半べそになっていた。
そして、急きょクラスで2番目に足の速い森田君がスタートとアンカーをすることになった。
開会式に続き、競技がはじまった。綱引きも、組み体操もフォークダンスも南のいない運動会は何だか調子がでなかった。
お昼のお弁当の母の唐揚げさえも、食欲がなくいつもの半分くらいしか食べれなかった。
運動会の午後の部が始まるちょっと前に、南がお母さんに連れられてやってきた。
南の右手は包帯で三角巾固定がしてあった。その包帯の白さが眩しかった。
どうやら、病院帰りらしい。南のお母さんは先生と何か話していた。
南は照れたように左手で頭を搔き「みんな、ごめん」とすまなそうに謝った。
「俺、一生懸命応援するから、みんなリレー頑張ってくれよな、な!」と言った。
先生との話を終えた南のお母さんは「みんな本当にごめんね…」と言いながらミカンを差し入れしてくれた。まだ、濃い緑色をしたみかんの皮から、爽やかですっぱい香りが立ち込めた。
「すっぺえ」南は左手でそのみかんにかぶりつき、素っ頓狂な声をあげた。
そしてお母さんに「調子づくんじゃないの!」と頭をポカンとやられた。
「いてぇ」その声でクラスの皆がどっと笑った。そしてしょんぼりムードだったクラスにいつもの元気が戻って来た。
さて、いよいよ6年生の全員リレーがはじまった。
スタートの森田君は5クラス中2位で走った。その後、順位は二転三転し私は3位でバトンを受け取った。
受け取ってすぐに私は、1人抜いた。ライバルの1組はラスト2人を男子にしていた。私は1組の男子の背中を追う。
「絶対に、絶対に越さなきゃ!!絶対に勝たなきゃ!!」私は必死で走る。
「小町がんばれーーー」みんなの声援の中にひときわ大きな南の声がきこえた。
前方のコーナー近くで南が左手をブンブン振っているのが見えた。
「なんだ、やっぱり南がアンカー走るんだ」一瞬そんな錯覚をし、私はその南をめがけて走っていきそうになった。
「ばかーっ、コーナーしっかり周れーーーっ」南の声がはっきりと聞こえた。
私は我に返り瞬時に左足を軌道修正し、1組男子を追いかける。追いつくことは出来なかったがかなり距離を縮めて森田君にしっかりバトンを渡すことが出来た。
私は安心からか、バランスを崩し、思いっきり前につんのめった。そして派手に転んだ。痛いのも恥ずかしいのもなく、慌てておきあがり、森田君に声援を送った。みんなの想いを繋ぎ森田君はラスト10メートルで1組を追い越し、私たち3組は優勝した。
擦りむいた膝小僧と右手の掌は、相当に痛かったがその時は嬉しさの方が数百倍も大きかった。
女子は抱き合って泣きだし、男子は皆ガッツポーズをし、雄たけびをあげていた。中でも南の喜びようは尋常ではなかった。
私は、担任の先生に促され、保健室へ行った。保健の先生がオキシドールを綿に含ませ患部にのせた。ジュワジュワと泡が私の膝小僧の上で弾けた。
応急処置をしてもらい校庭へと急ぐ。
興奮冷めやらぬ級友たちが私を出迎えてくれた。
そしてその後に撮った記念写真…
おっちょこの南が左手を高く突き上げている写真…、それが今、私の掌にある。
(ちょっと南、あんた、走ってないじゃん。なんで偉そうにガッツポーズしてるのよ)私は写真の南にデコピンをする。
そして写真に向かってつぶやく。
ねえ南…小学校最後の運動会。
本当は私、あんたにバトン渡したかったんだからね…

あれから半世紀も過ぎていることが今更のように驚きでしかない。

                                           続く

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