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おっちょこな君へ(南と小町の物語)その8 S賞受賞編


初めて小説(空想エッセイ)書きました。

1959年生まれの私
❗️
懐かしさをお楽しみ頂けたら嬉しいです^ ^
どうぞ読んで下さい。

【2015年10月】
その日、世界で最も権威あるS賞を南が受賞したとのニュースが日本中を駆け巡った。
いつの間にかおびただしい数の報道陣が南の家の周りに集まっていた。
南の両親は、玄関先でインタビューを受けている。
同級生の間でも通信アプリで「南、やったぞ」「すごいぞ、南!」の文字が溢れかえっていた。
テレビでは、どの局も南のS賞受賞のニュースが特集されていた。
どうやら午後8時過ぎには受賞の記者会見が行われるらしい。
私は、夕食の後片付けをさっさと済ましテレビの前に座る。
やがて、南が会場に姿を見せた。
多くのフラッシュを浴び、心持ち緊張の表情である。
なんだか、こちらまでドキドキしてくる。
だって南は、いつもここぞ!と言うところでおっちょこなことをしでかして来たではないか。
神様、どうか南がこの大切な記者会見で、おっちょこなことをしませんように…私は心の中で祈る。合わせた手が汗ばんでくる。
記者会見の会場は、南の研究室のある大学だった。講演などで使われるコンベンションホールだったと思う。
報道陣の間を時々一礼しながら、背筋のシャキッとした南が歩いている。
いつの間にか私は正座をし、南の一礼に合わせ画面に向かって会釈していた。
記者会見が始まった。南の前のテーブルの上には50本以上のマイクが置かれていた。今さらながら、南がど偉いことをやったんだなと胸が熱くなった。
南、すごいよ!南、すごいじゃん!南、すご過ぎるよ!
いつの間にか、涙が後から後からあふれ出し、私はしゃくりあげながらエプロンで顔を拭いた。
そんな私を、夫と娘たちはドン引きしながら眺めていた。
南は記者会見の中で「自分が一番つらかった時、支えてくれたのが妻の「サラ」だったと話していた。私はサラに感謝した。その幸せはサラでなければ、私では南にあげることの出来ない幸せだったからだ。
南は記者の質問に、丁寧に誠実に南らしく対応していた。
記者会見も終盤に差し掛かり、私もすこし落ち着いて画面を見つめていた。
その時、私は見つけてしまった。
アップになって大きく映し出された南の顔の右顎…なんとそこにカットバンが貼ってあるのを!
そのカットバンの近くに擦り傷のような跡があるのを…
(何やってんのぉ、あいつ…)久々のフレーズが頭の中でぐるぐると踊りだす。

少し世間が落ち着いたら、カットバンのことを絶対に南に問いただそう!と今度はニンマリしている私がいた。
テレビの中の南が会見を終え、会場を後にする。
その姿に思いっきり拍手を送る。
次の日、私の掌は拍手のし過ぎか、腫れていた。
後日、カットバンの傷は散歩途中に階段でバランスを崩し、転んだ時のものだと判明した。
やっぱり南は、おっちょこだ。
どんなに偉くなったって、やっぱり南は南なのだ。
そして南が南でいてくれることが、なんだか妙に嬉しかった。

南、S賞受賞おめでとう!ホントに本当におめでとう!!


続く

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