見出し画像

おっちょこな君へ  (南と小町の物語)その7再会編



初めて小説(空想エッセイ)書きました。

1959年生まれの私
❗️
懐かしさをお楽しみ頂けたら嬉しいです^ ^
どうぞ読んで下さい。

【再会】
その日は思ったよりも早くおとずれた。
土曜日、午前中の勤務を終え家に帰ると、玄関に茶色のビジネスシューズと赤いパンプスが並んでいた。
そしてリビングから賑やかな笑い声が聞こえてきたのだ。
まさか!?と思ったら本当にそのまさかだった。
そこには仲良く談笑している夫と南と南の奥さん(と思われる外国人女性)がいた。
南は私に気づくと右手をあげた。そして「よぉ、小町!久しぶりーー」と、全然久しぶりの再会とは思えないほど陽気に挨拶をしてきた。
南は昔からいつも、いつだって陽気なヤツだった。でも今の私にはそれがやけにアメリカナイズ(この場合はカナダナイズか!?)された感じに思えた。
それがなんだか、無性に腹がたってきた。
「ちょいと南!何が『久しぶりーー』よっ! 10年だよ、10年!!
何の音さたも無かったくせに!」と一気にまくし立てた。
「おいおい、落ち着けよ」と夫が私の肩を抱いてなだめた。
違う、違うのだ。私は南とのこんな再会を望んでいたわけじゃあない。
30歳にもなろうというのに、私はまるで幼稚園児のようにふくれっ面をしてその場に立ち尽くしていた。
状況の悪化を恐れてか、南の隣に座っていた女性が椅子から立ち上がった。
「小町さん、はじめまして。陽太のワイフです」と日本語でゆっくりと挨拶をし頭を下げた。
鳶色の髪と同じ色の瞳の可愛らしい小柄なこの女性こそが、南の奥さんだった。
私は取り乱したことが滅茶苦茶恥ずかしく、穴があったら入りたい気分だった。
そこへ母が、ちらし寿司の寿司桶を抱えて入って来て言った。
「サラさんこれで安心したかしら?小町と陽太君は昔っからずっとこんな感じ。ケンカばっかりしているホーミーズ(homies)よ」と。
「Yes! I felt relieved」陽太のワイフ、サラさんはニッコリと笑った。
母のアシストで私は救われた。
私たちは母の手作りのちらし寿司を囲んで昼食を食べた。
南は、子供の頃から私の母の作るちらし寿司が大好きだったのを思い出した。
実は今日のお昼に南たちが来ることは、3日前には分かっていたらしい。
ただ、私にサプライズしたいという南のリクエストで私にだけ内緒にしておいたのだとお昼を食べながら聞いた。
「まぁ、別の意味でサプライズだったけどなっ!」お吸い物をズズっとすすりながら南が言った。そしてサラさんの方に顔を向け「なっ!小町って恐いだろう?」とサラさんを見つめながら笑った。
「もう、それ言わないでよ。」私はまたふくれる。皆が笑った。
私は寿司桶からおかわりのちらし寿司をよそう。空になっていたサラさんのお椀にもよそって、サラさんに渡す。「Thank you 小町さん」と言うサラさんの声はしっとりと優しい。
私は「小町って呼んで!その代わりっていうのもなんだけど、私も『サラ』って呼んでいいかな?」と聞いた。「Sure!!」サラは笑顔で即答してくれた。
南は高校卒業からの10年間を語った。
・大学1年の前期に授業を詰め込んだら、ほぼ1年分の講義単位が取れてしまった。
・そこで、カナダへの留学を思い立つ。カナダに決めた理由はスキーが出来るからと言う単純なものだったらしい。
・スキー場でアルバイトをしながら英語力も身につけようと考えた。
・そのスキー場に友人とスキーに来ていた大学生のサラと出会う。
・2人はあっという間に恋に落ちる。
・少しだけ日本語のできたサラは、南のために、南の通訳を買って出てくれた。
その後のカナダでの生活を献身的にサポートしてくれたらしい。
・やがて南は1年の浪人を経てサラの通う大学を受験し、カナダでの大学生活を始める。
・文系理系の分け隔てなく、世の中に必要とされる研究者を志している。
・今年3月、サラと結婚。サラを連れて、10年ぶりに日本へ一時帰国している。
・いずれは日本の大学で研究室を持ちたいと思っている。
こんなところであろうか。

南ってやっぱり、凄いな…と私は思う。
でも、それを素直に言えないのが私の悪い癖だ。
その証拠に私はサラに言うのだった。
「ねえ、サラ聞いて!実は中学の時、南に数学を教えてあげたのはこの私なのよ。まっ、今の南があるのも私のお陰かな!」
本気にしたサラは何度も私にお礼を言った。
その後ろで南が顎を突きだし、ファイティングポーズをとっている。
思わず吹き出す私を、サラは不思議そうに見ていた。

やがて南とサラはカナダへと帰って行った。
近い将来、必ず日本に戻って来ると約束をして。

それから南は東京の大学で教鞭をとるようになり、東京に居を構えた。
今では東京とカナダを行き来する生活をしているらしい。
サラは子供向けの語学スクールで、英語とカナダの文化などを教えていると流暢な日本語で教えてくれた。
南がいろいろな科学雑誌などに論文を発表していると、同級生の間でも事あるごとに話題になっていた。
難しいことは分からなかったが、南の名前を新聞等で見つける時、私たち同級生はとても誇らしい気持ちになるのだった。

          続く

いいなと思ったら応援しよう!