なぜ「詩を書き歌うこと」をやめられないのか?
誰しもが日記を嗜んでみたり、自分だけのサインを考えてみたり、教科書の端に落書きをしたことがあると思う。それは後で振り返ってみると、結構恥ずかしかったりする。その代表格というのが詩、いわゆるポエムであると思う。鳥肌が立つような、その場で悶えたくなる気持ちになる人もいるだろう。
…と、かくいう俺は、一般企業に就職し社会人になった今でも詩を書くのを辞められていない。そしてあわよくばそれを歌にしている辺りまあ、どちらにしても「イタイ」のは間違いないと思う。なぜそんなことを辞められないのか…そんな疑問が浮かんだので考えてみる。
自分で言語化できる範囲で結論を言うと、「言葉は全て嘘になりえる」「人の感じることは、ほとんど言語化できない」という2つの考えが拭えないことが、詩を書き歌うことをやめられない原因だと思う。
自分の機嫌であったり、誰かや何かに対する評価というのは口先でいくらでも誤魔化せる。また、自分に嘘をつく意図がなくても、誰かの機嫌を損ねないようにするためだけに行動することは、本意とは大きく違うと思う。それが良いか悪いかは知らないが。つまり、ほとんど実社会で人は「建前」で生きていて、「本音」という概念はとっくに無く、嘘を交わして生きているような感覚がずっと拭えないのだ。それは俺の単なる妄想に過ぎないのかも知れない。
ただ、嘘をついているというモヤモヤした感覚「そのもの」は妄想ではない。海を見た時の懐かしさや、夕日を見て吸い込まれそうになる時、誰かを好きであると自覚しそうな時の高揚、つまらない日常に感じる多幸感…それらには名前がないか、あるいは恋だの本能だのと、ざっくりとした言葉で括られている。ただ、感じているのなら確実に存在している「唯一無二の本物」なのだ。
音楽は「言葉」だけでは捉えられない。そこに音程があり、リズムがあり、速度がある。それらを合わせて、上に書いたような感覚をまた感じられるように残す、それが俺にとっての音楽なのだ。景色を忘れないよう写真を撮るように、教えられたことを忘れないようメモを取るように。今感じたことを時の流れとともに忘れてしまわないように歌を残すのだ。
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