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所有やトレードの世界からの解脱

長いこと、私たちは「多く所有する」ことで自分自身が安心安全に生きていけるのだと思い込んできました。

資産をストックしていくことがよしとされ、貯金がいくらあったら安心だ、という幻の安定を求めてきたのかもしれません。より多くの生産性を高めるために、多くの社員を雇用して終身雇用という一見、面倒見がよさそうなキャッチフレーズと共に人員を確保する。そして万が一のリスクに備えて、企業内に多くの資金を留保していく。なぜなら人員を解雇することはできないから。企業が抱える未来への不安やリスクヘッジによって、ときに身を粉にして働いている社員が、物価の高騰とともに“いま現在”苦しでいるかもしれません。そんな現状に、そんなものだ、と無関心でいることができるのでしょうか。

昨日、たまたまレストランで隣席に座っていた30代前半の女性二人による会話が耳に入ってきて少なからず驚きました。ひとりは勤務10年にして給与が18万(手取りではなく)、そしてボーナスが3万円だと相談交じりに打ち明けるのです。さらに1日の労働時間は10時間以上。それでもクビになるのが怖いから会社に大きく出ることはできず、本来は60分程度の昼休みがありがたいことに90分ももらえるから今に至る、と。生き方を選ぶ権利は本人にしかありません。あらゆる価値観や培ってきた常識で決断されてきたのだろうけれど、ここに長年、私たちが抱えている問題が蓄積されているのを感じました。

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今まで私たちの世界を支配してきたのは、まさに所有とトレードです。私のものである、という所有の概念は至るところに存在します。お金や仕事、土地、労働、食事、時間など資産にまつわるもの。家族やパートナー、子ども、親など関係性にまつわるもの。さらに私の考え、私という人間性、私の理念や信念など、という私というアイデンティティに根づいている概念や理想のようなもの。

そして、私のものという所有の概念が存在する限り、私たちはそれ以外のものを私のものじゃない、という認識のもと、無関心になったり、無頓着、無神経になってしまいます。そして常に「私のもの」と「それ以外のもの」の間でトレードの意識が介在してきます。ギブ&テイクという取引によって、自分がリソースを割くものに対して、それ相応の、もしくはそれ以上の対価がないと不安になったり、苛立ったり、もしくは取引の交渉をしなければ、と分離の意識からくる生存本能が私たちを掻き立てていきます。20代の悩みトップ3に常に「給与があがらない」という項目があるそうです。この場合、相反する存在 vs. 自分、という常に何かと私が分離した状態にあり、私たちは安心安全に生き抜かなければ大変だ!今からリスクに備えなくては!と不安と恐れによって日々の選択をしていきます。

逆に「私のもの」に対しての愛着が強ければ強いほど、それが執着となって成長していきます。自分のもの、という認識である家族や子ども、友人、もしくは会社の部下や社員たちが、自分の期待通りに行動しないと苛立ちを覚えるかもしれません。なぜわかってもらえないのか、と。自分のもの、と感じている理念や信念を侮辱される、もしくは軽視されるような場面に出くわすと、自分の尊厳が失われるような感覚になるかもれません。私たちが抱く理想な理念は、そもそも誰かの所有物なのでしょうか。そもそも奪い合うものでしょうか。

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冒頭の話に戻ります。私たちは誰もが、そんな分離の世界を生きてきました。生存本能が引き起こす恐れや不安から、大企業や大きな組織、高学歴、高収入などを追い求めてきました。コツコツと積み上げてこれさえすれば、努力に応えてくれるように外の世界は豊かになってきたこともあるかもしれません。けれど気づくのです。いつまでこのまま頑張り続けるのだろう。いつまで人生を向上させていくことに一生懸命にならなければいけないのだろう、と。

組織や企業という大きなフレームのなかで生きることは、幻だったにせよ、私たち自身に安心を提供してくれました。外のものに依存していけば、どうにか生きてこれたのです。社会通念や常識に依存し、会社という組織に依存し、周囲の意見や親の価値観に依存していれば、自分の心に耳を傾けなくても済んできたのです。楽でした。自分の心に耳を傾けるなんて勇気のいることはできるだけ避け、本心に気づかず過ごすことができました。そしてすべて会社のせい、周囲のせい、社会のせい、親のせいにしてこれたのです。

あなたの生存本能は変わらず警鐘を鳴らします。心の奥底にある恐れや不安は、二度と苦しかった経験をしないように、と伝えてきます。今まで寝かしていくことにしたパンドラの箱を開けてしまうと、どうなってしまうのでしょうか。自分の本心を知ってしまうと、何が起きるのでしょうか。誰を悲しませるのでしょうか。誰があなたを非難するのでしょうか。本当の気持ちを知ってしまうと、今までの自分を否定する気がするのでしょうか。本当は何を願って、あなたを生きているのでしょう。本当は何をしたくて、この世に誕生したのでしょう。

あらゆる感情を抱きながら生き抜いてきた自分の本心を自分自身が認めることで、私たちはようやく自分を受容することができます。分離していた自分と統合し、本来的な自己信頼を取り戻します。そして自分を信じることができて初めて、ありのままの自分を表現し、循環の器として生きることができるのです。

私たちは透明性の高い、クリアリングの力が増すような時代を生き始めました。きっと私たちの本心も以前よりも感じやすくなるかもしれません。それは周囲に伝わるのはもちろん、自分自身でも明瞭に感じられるようになるかもしれません。今までは感じなかった違和感、恐れ、不安、不快感。避けて通れたものに敏感になっていくかもしれません。転換期なので大なり小なり辛いと感じることが起きたとしても、脱皮するときには多少の痛みは生じるものです。

分離の世界にいた私たちは、いま大いなる解脱を促されています。偽りのコンフォートゾーンを抜け出し、本来の在り方に戻るとき。分離していた意識を統合していくとは、あらゆる自分を受け容れ、すべての自分と統合するということです。そして統合のプロセスを経て、大いなる循環のなかにいる自分を受け容れることなのです。分離しているという思い込みを手放し、生まれる前から脈々と受け継がれ、また今後も脈々と受け継いでいく豊かな循環のなかで、ただ生きている、ただ在る、という自分を許すことです。

人は、ありのままでいたとき、初めてその大いなる豊かさの恩寵を受け取ることができます。分離ではなく、すべてと繋がっている器としての自分を、思考で概念を理解するのではなく、体感や体験をもって感じることができたとき、初めて私たちは流れるように豊かさの循環のひとつと在ることができるのです。ストックすることがよしとされてきた時代を終わらせ、フローのなかで生きていくことができるのです。



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この12月には、ご自身の体感・体験を取り戻すためのお手伝いを、エネルギーワークを通して行います。エネルギーワークって何?という初めての方もウェルカムです。代官山にある会場へお越しいただき、施術ベッドに横たわるだけです。ただ「自分に寛ぐ」という場です。場所見知りする方や、他の人たちが大勢集まる場所が苦手という方でも、特に馴れ合う必要もない場所ですので、安心してご参加ください。









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やまさきまりこ / 山﨑 真理子
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