李雪峰さん死去
中琉文化経済協会の元常務理事・李雪峰さんの訃報を知らされた。97歳だった。
1986年3月、私は琉球大学での留学生活を終え、台北に帰省し、同協会に勤めた。その時、初めてその名前を知った。李さんは26(大正15)年生まれで、第2次大戦中は戦闘機製造のため、神奈川県の高座に派遣され、台湾の少年工として働いたこともある。戦後、日本から台湾に戻ると、米占領下だった本県の建設会社「国場組」の台北事務所長を務めた。台湾から労働者や資材を沖縄に送る仕事に携わる。
58年3月、台湾(中華民国)と沖縄(琉球)の文化・経済交流の促進を目的に活動する非営利の社団法人・中琉文化経済協会が設立されると、同会の理事として迎えられた。同会の戦前日本に留学した経験もある初代理事長の故方治氏と親交を深めながら、戦後の沖縄経済復興に貢献するとともに、台湾と沖縄の友好交流事業に尽力した。
82年10月に与那国町と台湾・花蓮市は姉妹都市提携をしているが、仲立ちを務めたのが李さんだという。李さんによれば、台湾に最も距離的に近い与那国島が、中国に浸透されることを防ぐための戦略的な狙いもあったという。
李さんは88年まで、国場組台北事務所長を務めた。ビジネスを通して沖縄との関係は40年余に及んだ。台湾に留学経験のある県人などからも慕われていた。合掌。
(辺野喜 陳 宝来)