実現しなかった北部支線の分社化
沖縄本島の名護以北のバス路線、いわゆる北部支線を運行しているのは、沖縄県豊見城市に本社を置く琉球バス交通と、那覇市に本社を置く沖縄バスである。この2社は、名護市には営業所を設置するのみであるが、かつては2社の共同出資により、名護市に本社をおく北部支線専属のバス会社の設立構想があった。
北部支線は赤字だけど補助金額が低い
北部支線が走る名護市以北は、沖縄本島中南部と比較すると、面積は広いが、居住人口が少ないことも影響して、多くの路線で赤字であり、現在でも補助金で保たれている状態である。
その補助金であるが、かつては適用基準が厳しかったようで、「1社での運行」または「2社以上でも競合率(同一区間を走る割合)が50%以下」という条件があり、琉球バスと沖縄バスの2社によって運行されていた北部支線は、全路線が適用対象外であった。
最初の構想は1985年ごろ
こういった事情もあり、北部支線を1社にすることで補助金を受けられるようにするという考えは、古くからバス会社の中にはあったようで、最初の分社化構想は1985年に出されている。
上記にもあるように、減便が主目的となっていたことに加え、当時、沖縄県の主導により、琉球バスと那覇交通の統合が進められていた中で、分社化という合併とは逆行する計画であったこともあり、県、市町村からの賛同は全く得られず、早々に計画は白紙となった。
1993年12月より共同運行開始
1回目の分社化構想は早々にとん挫したが、赤字路線を維持するための、運行効率化を目的とした共同運行化が1993年12月28日より開始された。
この共同運行化により、全体の運行本数自体は減便となったものの、同時に2社のバスが運行されるダイヤが無くなったことや、共通定期券の導入などにより、乗客からすると実質1社になった形となり、利便性は向上したようである。
参考までに、共同運行前の2社の北部支線を以下に示す。
上記を見てもなんとなくわかるが、かなりの区間で2社による重複となっており、共同運行開始前の競合率(他社のバス路線と重複する区間の割合)は、琉球バスが69.7%、沖縄バスが72.2%であった$${^1}$$。
共同運行化により、当然ながら100%の重複となるが、運行本数を半分ずつ担当し、運行便での乗客数に関わらず収入は折半となることから、バス会社的にも赤字改善に多少はつながったようである。
この共同運行は、2023年9月現在も続いており、本来であれば会社を跨いだバス路線のダイヤ調整や運賃収入の折半は、独占禁止法に引っかかるところであるが『生活路線維持のための共同経営』を目的とした「道路運送法に基づくカルテル(独占禁止法適用除外)」として、公正取引委員会からの認可を受けている$${^2}$$。
なおこれは余談であるが、沖縄バスが単独で運行していた区間は、2023年9月現在もほぼ全区間のバス路線が維持されている一方で、琉球バスが単独で運行していた区間のほぼ全区間が廃止となっていることから、結果論かもしれないが、各社の路線網の設定も、倒産した琉球バスと、倒産を経験していない沖縄バスの違いとして現れているのかもしれない。
1997年ごろに2回目の分社化構想
1993年の共同運行は効率化には繋がったが、結局のところ2社による運行であることには変わりないことから、相変わらず全路線が補助金適用の対象外であった。
そのため再度、2社による新会社設立の構想が1997年にあがった。
この構想は1回目の時とは異なり、路線バスの認可元である沖縄総合事務局の指導もあったようで、学識有識者も含めた「北部新会社設立委員会」を設立し、具体に1998年9月1日の会社設立を目指すという具体的なものであった。
1回目の分社化時とは異なり、順調に進みそうであったこの構想であるが、1998年7月時点で1ヶ月設立が遅れることとなり$${^3}$$、さらに1998年9月時点では時期未定で先延ばしとなった$${^4}$$。
2回の延期とも事務手続きの問題と報道されたが、沖縄バス創立60周年誌によると、この分社化構想とほぼ並行して、那覇交通と東陽バスを含めた、沖縄本島の4社バス会社統合の構想があったようで、やはり分社化とは逆方向の統合の話が優先され、新会社設立の構想は自然消滅してしまったようである。
3回目の分社化構想は無さそう
4社統合を理由に白紙となってしまった北部支線の分社化構想であるが、そもそもの4社統合も、2002年12月に県の融資を得られないことで資金不足となり、実現することはなかった$${^5}$$。
加えて、2002年2月に道路運送法が改正され、バス路線の改廃が許可制から届け出制に変わったことにより、2002年3月末をもって71番・運天線、2003年3月末をもって74番・名護東部線、2004年9月末をもって69番・奥線と、相次いで北部支線が廃止された。
なお、この相次ぐ廃止と前後して2003年10月には「沖縄県生活バス路線確保対策補助金」の支給制度が新設されており$${^6}$$、2012年3月に新設された「沖縄県地域公共交通(陸上交通)確保維持改善事業費補助金」の支給制度$${^7}$$と共に競合率に関する要件が緩和(1日の利用者数が150人以上の場合のみ競合率が影響)されたことから、現状の共同運行でも、北部支線7路線のうち6路線に補助金が支払われている$${^8}$$ようなので、3回目の分社化構想はしばらくは出てこないであろう。
脚注
琉球バス 沖縄バス 北部で共同運行/28日に発車「オーライ」(1993年12月26日 沖縄タイムス)
令和4年度公正取引委員会年次報告(2023年 公正取引委員会)p.198
北部のバス新会社/設立遅れる見通し(1998年7月29日 沖縄タイムス)
新会社"発車遅れ"/沖縄・琉球の北部路線バス(1998年9月30日 沖縄タイムス)
沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.47
沖縄県生活バス路線確保対策補助金 交付要綱(沖縄県Webサイト)
沖縄県地域公共交通(陸上交通)確保維持改善事業費補助金 交付要綱(沖縄県Webサイト)
陸上交通(バス路線の確保・維持)(沖縄県Webサイト)
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