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17番・石嶺線の歴史を調べてみた

那覇バス石嶺営業所は、2024年12月現在、市内線7路線が発着または経由する首里石嶺町における路線バスの拠点であるが、この地を起終点とする路線バスが走るようになったのは意外と遅く、本土復帰後のことであった。運行を開始したのは、2024年12月現在も運行されている17番・石嶺線で、運行開始当初は首里石嶺町を発着する唯一の市内線であった。


首里バスの路線として運行開始

石嶺線の運行開始は、1972年7月1日のことである。後に那覇交通に吸収合併される首里バスによって運行を開始した。

当時の想定されるルートを以下に示す。

運行開始当初の17番・石嶺線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

首里石嶺町を起終点に、石嶺→牧志→開南→石嶺、または石嶺→開南→牧志→石嶺というルートで循環していたようだ。
起終点は、現在の那覇バス石嶺営業所が立地している箇所である。ただ、運行していた首里バスの営業所は、17番・石嶺線の運行開始後も首里当蔵町にあった当蔵営業所のみだったようで、1972年7月1日当時は石嶺団地前という名称で、単なる折り返し場だったようである。

なお、首里バスは1974年8月1日に、前述のように那覇交通に吸収合併されたが、17番・石嶺線を含むバス路線網は、首里バス時代のまま存続している$${^1}$$。

三重城営業所起終点に変更

17番・石嶺線の運行ルートが変わったのは、1976年5月1日の那覇市内線の大再編の時である。この再編により、すべての市内線が三重城営業所発着となり、17番・石嶺線も三重城営業所起終点へと変更された$${^2}$$。
変更後の運行ルートを以下に示す。

1976年5月1日当時の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この当時は、首里バス時代の石嶺線を引き継いだ関係で、現在の開南経由だけではなく、牧志経由も存在したほか、首里地区においても現在の鳥堀経由だけでなく、桃原経由が存在した。系統的には「牧志・桃原経由」「開南・鳥堀経由」となっていたようだ。
ただし認可上は、起点、終点ともに三重城営業所となる循環系統であったためか、往路が牧志・桃原経由の場合は、復路は開南・鳥堀経由となり、往路が開南・鳥堀経由の場合は、復路は牧志・桃原経由となっていた。前者が「牧志廻り」、後者が「開南廻り」という扱いだったようである。

なお、現在の17番・石嶺線からは想像できないほど頻発運行であり、1976年5月1日時点で、1日116本が運行されていた$${^2}$$。

2路線を吸収

17番・石嶺線は、1977年から1979年までの間に、2路線を吸収している。

1977年に15番・開南線を吸収

最初に路線を吸収したのは1977年(昭和52年)10月1日のことである。吸収されたのは、15番・開南線である。

昭和52年10月1日 開南線を石嶺線へ吸収合併

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99

15番・開南線は、石嶺線と同じく、かつて首里バスが運行していた15番・開南本線を、1976年5月1日の市内線大編成時に三重城営業所発着に変更した路線である。三重城営業所を起点とし、開南を経由して、首里地区を循環し、折り返す路線であった。

1976年5月1日当時の17番・石嶺線および15番・開南線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1日101本運行$${^2}$$という石嶺線に引けを取らない高頻度運行路線であったが、運行ルートが石嶺線にほぼ包含される形であり、別路線として運行する必要は無いという判断があったのか、前述の通り1977年10月1日に17番・石嶺線に吸収される形で廃止された。
なお、ルートがほぼ重複していたこともあり、開南線を吸収したからと言って石嶺線のルートが変わることは無かったようである。

1979年に16番・金城線を吸収

次に吸収したのは1979年(昭和54年)2月27日のことである。吸収されたのは、16番・金城線である。

昭和54年2月27日 金城線を石嶺線へ吸収合併

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.101

16番・金城線も、先ほどの15番・開南線と同様にかつて首里バスが運行していた16番・金城廻り線を、1976年5月1日の市内線大編成時に三重城営業所発着に変更した路線である。三重城営業所を起点とし、開南、金城地区を経由して、当蔵地区を循環し、折り返す路線であった。

1976年5月1日当時の17番・石嶺線および16番・金城線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この16番・金城線は、交通方式が右側通行から左側通行に変更となる730時に、現在の崎山交差点付近でカーブが曲がり切れないという問題が発生したため運行休止$${^3}$$となり、カーブ区間の工事終了後の1979年2月22日に運行を再開$${^3}$$したが、ほどなくして17番・石嶺線に吸収された。
吸収後は、既存の「牧志・桃原経由」「開南・鳥堀経由」とは別系統である「開南・金城町経由」が新設された$${^4}$$。

1979年2月27日当時の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

牧志経由が廃止

2路線を吸収した17番・石嶺線であったが、1983年1月6日には逆に他の路線に吸収されることとなった。吸収先は、9番・小禄線である。
9番・小禄線は、三重城営業所を起点として、牧志、山下、小禄を経由して、大嶺・宇栄原地区を循環し、折り返す路線であった。

1976年5月1日当時の9番・小禄線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この9番・小禄線に、17番・石嶺線の「牧志・桃原経由」が吸収され、現在も運行されている9番・小禄石嶺線が誕生した。

路線再編の中心となる小禄・石嶺線は、現行の石嶺線、小禄線を併合して1地区1系統を廃止し、1系統2地区輸送にするもの。現在は三重城営業所を起点、終点にした小禄線、石嶺線が運行しているが、営業所を石嶺団地と豊見城村名嘉地に分散、両営業所を結んだ路線にする。この路線は宇栄原-小禄-山下交差点-旭橋-国際通り-大道-山川-儀保-石嶺団地間の上下線となる。石嶺線開南回りは従来通り。このため国道58号の西側の西武門などへ行く時は開南回りを利用しなければならない。再編によって、現在、石嶺線が1日当たり牧志回り、開南回り、小禄線が各66回運行しているのが石嶺小禄線で140回、石嶺線開南回りが60回にかわる。

バス路線を大幅変更 那覇市内新年から/首里-小禄 乗り換えなしに(1982年12月26日 沖縄タイムス)
1983年1月6日当時の9番・小禄石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお「開南・鳥堀経由」と「開南・金城経由」は、引き続き17番・石嶺線として存続した。
またこの変更と同時に、石嶺側には石嶺営業所が設置されており、起点が石嶺営業所、終点が三重城営業所と、認可上も循環路線では無くなったようである$${^5}$$。

1983年1月6日当時の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

金城経由が休止

1986年8月12日には、「開南・金城経由」が休止となった。廃止とはなっていないが、その後に運行が再開されることは無かった。

石嶺線金城回りは琉大移転後、利用者が減少しているため、当分の間休止し、山川経由のみで運行する。

銀バス 那覇市内の路線再編/寄宮線廃止 識名線新設(1986年8月12日 沖縄タイムス)

1976年に三重城営業所発着となって以降、系統の新設と廃止を多々繰り返したが、1986年8月12日をもって「開南・鳥堀経由」のみが残った。
運行ルートを以下に示す。

1986年8月12日当時の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

このルートで一旦落ち着き、以後約20年間、開南経由のみで運行されることとなった。

那覇バスへの移管時に半減

運行ルートが確定されたのちの1987年3月末時点$${^6}$$で1日58本が運行されていたが、平成となったのちの1993年3月末時点$${^7}$$で1日48本に減便、2000年代に入った2001年10月$${^8}$$で1日38本に減便されている(その後の2003年10月3日のダイヤ改正では1日34本とさらに微減)。
2004年7月18日には、那覇交通から那覇バスへの営業譲渡が実施され、幾つかの市内線が廃止される中で、17番・石嶺線は、路線自体は存続したものの運行本数は、約半分である1日18本へと大幅に減便された。

具志営業所終点に変更

那覇バスへの移管により大幅に減便された17番・石嶺線であったが、2006年9月25日には約20年ぶりに運行ルートが変更されることとなった。三重城営業所の閉鎖に伴うものであるが、他の路線が引き続き、営業所跡地前に設置された三重城バス停を発着する形で存続したのに対して、17番・石嶺線は、三重城からは撤退し、具志営業所が終点へと変更された。これは、起点である石嶺営業所には給油施設が無かったためであろう(具志営業所には給油施設がある)。
終点が具志営業所に変更されたことにより、9番・小禄石嶺線とは起終点が同じとなったが、事実上の延伸区間である県庁前~具志営業所間は、9番・小禄石嶺線とは異なるルートとなった。
以下に変更後のルートを示す。

2006年9月25日時点の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この時の変更では、那覇バスターミナル(県庁北口)経由し、旭町~奥武山公園駅前までは11番・安岡宇栄原線と同様のルートにて運行され、そこから先は、かつて運行されていた12番・末吉線と同様のルートとなり、小禄バイパス経由で具志営業所へ向かうルートとなった。

ただこのルートは長続きせず、1年経過せずの2007年4月9日に再度ルートが変更され、那覇バスターミナル(県庁北口)経由から県庁南口経由、小禄バイパス経由から高良経由となった。
以降は2024年12月現在までこの運行ルートとなっている。

2024年12月現在の17番・石嶺線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2011年10月から休日は運休に(2024年9月に復活)

その後も運行本数は減少傾向であったが、2011年10月1日のダイヤ改正により、ついに休日の運行が無くなり、平日・土曜日のみの運行へとなった。
2007年4月1日より、日曜日は国際通りのトランジットモール実施のため、首里地区からの路線バスは開南経由となっており、17番・石嶺線以外の路線で代替できるため、日曜日に運行する必要は無いという判断だったのかもしれない。

なお休日の運行は、2024年9月27日のダイヤ改正で1日7本と少ないながらも、約13年ぶりに復活している。

首里駅前経由となる予定があった

2000年代に入ってからの最初のルート変更は、前述の通り2006年9月25日のことであったが、2003年8月10日の沖縄都市モノレール開通と同時にルート変更が実施される予定であった。
変更内容は、儀保経由から首里駅前経由に変更するというもので、モノレールへの乗り継ぎ利便性を向上させるとともに、当時、バス路線が走っていなかった石嶺営業所~首里駅前の区間に路線バスを運行するという目的であった。また路線名についても、「石嶺線」から「石嶺三重城線」への変更が予定されていた。
予定されていた変更後の運行ルートを以下に示す。

2003年8月10日に予定されていた17番・石嶺線の変更後の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇交通はモノレール開通の直前である2003年6月20日に民事再生法の適用を申請し、上記の17番・石嶺線以外にも予定していたモノレール開通に伴う再編計画のほぼすべてを白紙にしたため、最終的にルート変更が実施されることは無かった。

脚注

  1. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23

  2. (広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)

  3. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.14

  4. 昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.23

  5. 昭和57年度 業務概況(1983年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.24

  6. 昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.22

  7. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.21

  8. バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)


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