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64番・喜瀬武原線の歴史を調べてみた
恩納村と金武町の境目に「喜瀬武原」という地区が存在する。2022年4月からは地区内に立地する恩納村立喜瀬武原小学校(児童数11人)が休校する$${^1}$$ほどの人口稀薄地域であるが、かつては西海岸の国道58号と東海岸の国道329号を、喜瀬武原地区を経由して東西に結ぶ、64番・喜瀬武原線が琉球バスによって運行されていた。
なお、喜瀬武原地区内の道路上には、現在でもバスベイが残っているほか、廃止から20年近くが経過しているが、下記のようにバス停の標柱が現存しているところもある。
廃止時の運行ルート
いつもとは逆に、廃止時から遡っていきたいと思う。
64番・喜瀬武原線は1995年3月31日をもって運行が休止された$${^2}$$。あくまで休止で、この時点では廃止とはなっていない$${^3}$$が、その後に運行が再開されることは無かった。なお、喜瀬武原線を運行していた琉球バスは、1994年2月22日に会社再生法の申請をしているが、この前後で赤字路線に対してかなりシビアな対応を取るようにしていたようだ。
喜瀬武原線の廃止を決めたばかりの琉球バス(長浜弘社長、本社那覇市)が、山原線を除く全路線の便数削減を計画していることが28日までに分かった。
(中略)
琉球バスは7日付で、恩納村に喜瀬武原線の廃止を通知。比嘉茂政恩納村長らが24日、同社を訪れ路線継続を訴えたばかり。
1995年3月末の廃止時点の運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
起点はうるま市にある具志川バスターミナルである。バスターミナルを出発したバスは、県道8号線、県道255号線、国道329号を名護方面へと北上し、石川市(現・うるま市石川)を経由して、金武町の銀原バス停の手前の交差点で左折する。その後は、ひたすら町道を進み、途中で県道104号線に合流した後に、金武町から恩納村に入りつつ、路線名の由来ともなる喜瀬武原地区(上祖入口)を通過し、国道58号との交差点付近の恩納村にある安富祖バス停が終点となる。
なお、終点の安富祖バス停付近には、折り返しのための駐車場は設置されておらず、大胆にも交差点でUターンして折り返していたようである$${^4}$$。
廃止直前の運行本数は1日3本(朝1本、夕2本)のみで、ほぼ通学利用であったためか、平日のみの運行であった$${^5}$$$${^,}$$$${^6}$$$${^,}$$$${^7}$$。なお先に書くと、廃止される約15年前の1979年8月1日当時で、既に平日は1日3本のみの運行であったので、そもそも利用者が多い路線では無かったと思われる(ただし、この当時は休日も1日3本運行されていたようである)$${^8}$$。
ちなみに、琉球バスの具志川バスターミナルは、1988年頃に廃止された石川バスターミナルの代わりに新設されたバスターミナルであり、喜瀬武原線も1988年以前は石川バスターミナルを起点としていた。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
かつては全線県道104号線経由であった
廃止直前時点での、国道329号から喜瀬武原地区へは、国道329号→町道→県道104号線というルートであったが、少なくとも1980年当時$${^9}$$は国道329号から直接、県道104号線に入り、終点の安富祖まで全線が県道104号線を通るルートであった。
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全区間で県道104号線を経由するルートから、町道を一部経由するルートへと変更されることにより、町道沿いに中川入口、中川、城原入口の3バス停が新設され、中川集落の住民にとっては、少なからず利便性は向上したと思われるが、経路変更の目的はこれらバス停付近の集落住民の利便性向上ではなく、県道104号の特殊事情によるものであった。
県道104号線の金武町側の区間は、米軍キャンプハンセンの敷地内にあるが、これはキャンプ桑江内に建設された北谷町役場のような共同使用ではなく、現在でも米軍管理下である。
なお、同訓練場内には沖縄県の管理する一般県道104号線(使用面積約5ha、使用開始昭和47年5月15日)があるが、日米合同委員会における共同使用の承認手続きを経ていないため、地位協定第3条に基づく現地米軍の管理権により使用が認められていると理解されている。
このような立地のため、かつては県道104号線を跨いだ実弾砲撃訓練が米軍により実施されており、県道104号線はたびたび封鎖されていたようである。
県道封鎖時は当然ながら路線バスも通行できなかったと思われるが、後に迂回ルートとして整備された町道が整備されたようであり、バスルートも町道に切り替わったのであろう。
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バス路線一覧に記載されている運行キロより、1981年9月~1982年6月の間で変更(町道切り替えにより約1.1km延長)されたようである。
さらに昔は石川バスターミナルを起終点とした循環路線だった
さらに遡り、廃止される約30年前の1964年12月末時点のバス路線一覧$${^1}$$$${^2}$$によると、喜瀬武原線の起点は石川、経由地は金武、仲泊で、終点も石川となっている。経由地から判断すると、恐らく以下のようなルートであったのだろう。
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石川バスターミナルを出発して、喜瀬武原地区を経由して、安富祖までは同じルートであるが、そこから先が異なり、安富祖交差点を那覇方面へ左折して国道58号を南下し、恩納村仲泊からは現在も48番・石川読谷線が走っている県道6号線を石川方面へ進み、石川高校前を経由して、石川バスターミナルへ戻ってくるルートであった。
喜瀬武原地区は金武町と恩納村の2町村に跨る地区であるが、喜瀬武原集落の大半は恩納村側に属しており、小学校も「恩納村立」喜瀬武原小学校である。そう考えると、喜瀬武原⇔安富祖⇔恩納村仲泊という需要があるのが自然であるので、バス路線が安富祖よりも先の恩納村恩納、仲泊方面へ走っていたとしても違和感はないし、むしろ当然であろう。
なお、石川起点の循環路線当時の運行本数は、仲泊廻り(石川→仲泊→安富祖→石川)が1日7本、喜瀬武原廻り(石川→安富祖→仲泊→石川)が1日8本であった。
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(出典)行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.76を元に筆者が作成
その約半年後の1965年6月時点でのバス路線一覧$${^1}$$$${^3}$$では、石川~安富祖~仲泊~石川の41.5kmを1日15本(恐らく仲泊廻りが7本/日、喜瀬武原廻りが8本/日の合計15本/日$${^1}$$$${^2}$$)運行されており、この時点ではまだ循環路線として存在しているが、翌7月時点でのバス路線一覧$${^1}$$$${^3}$$では、石川~安富祖の21.8kmを1日4本、石川~上組入口(安富祖の1つ手前のバス停)の18.0kmを1日4本運行する形に変更されている。よって、石川バスターミナルを起点とする循環路線としての運行は、1965年6月をもって終了したようである。国道58号の安富祖まで行かない便が新設されたということは、行政上の所属は恩納村であっても、生活面での需要は金武町に多くあったのかもしれない。
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(出典)旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.19を元に筆者が作成
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(出典)旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.22を元に筆者が作成
(注釈)「起点・経由・終点」が1965年6月と同じだが誤記だと思われる。
喜瀬武原線廃止後は村営バスが運行開始
以上が64番・喜瀬武原線の歴史である。
なお喜瀬武原線が廃止された後の1995年7月からは恩納村による村営バスが運行を開始した$${^1}$$$${^4}$$。この村営バスは、国道58号や国道329号を走る既存の路線バスへ乗り継げるよう、最低限の区間である喜瀬武原入口~安富祖のみの運行であった。ただ、この村営バス自体も長続きはせず、2004年をもって廃止となっている$${^1}$$$${^5}$$。
脚注
喜瀬武原小が来年度休校/保護者ら「児童多い学校に通わせたい」(2022年3月16日 琉球新報)
沖縄県議会 1995年(平成7年)第2回定例会-2月27日-4号
琉球バスU20Hと喜瀬武原線(鉄人&バス人が行く!)Webアーカイブ
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27
平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25
運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)
昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.27
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
業務概況 昭和55年度(1981年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.27
業務概況 昭和56年度(1982年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.27
行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.76
旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.19、p.22
[やんばる紀行](2)ローカルバスに乗ろう/恩納村の「やまびこ号」 安富祖-喜瀬武原-中川-金武(2002年7月12日 沖縄タイムス)
交通空白地域におけるコミュニティの役割 沖縄県恩納村喜瀬武原区を事例に(2008年 上江洲朝彦 著)