18番・真和志高校線の歴史を調べてみた
かつて那覇交通が運行するバス路線には「18番・真和志高校線」という路線が存在した。現在のバス路線網だと、那覇市内線の約半数が真和志高校前を経由するので、かなり雑な路線名にも聞こえるが、この「18番・真和志高校線」が運行を開始した1976年5月当時は、市内線、市外線を問わず、真和志高校前を経由する唯一のバス路線であった。
1976年の那覇市内線大再編時に新設
18番・真和志高校線は、1976年5月1日に実施された那覇市内線の大再編を機に運行を開始した$${^1}$$。当時の運行ルートを以下に示す$${^1}$$。
今でこそ真和志高校前バス停には、那覇市内線、市外線を問わず、多くのバス路線が停車するが、冒頭でも書いたように、1976年5月1日当時の停車路線は、この18番・真和志高校線の1路線のみであった。
前身は首里バスの18番・首里一周線かも
運行開始時の新聞広告$${^1}$$によると、18番・真和志高校線は「新設」扱いではあったが、一部ルートは前日まで運行されていた18番・首里一周線を踏襲している。
18番・首里一周線は、後に那覇交通に吸収合併される首里バスによって運行されていた路線である。1964年(昭和39年)5月29日に認可されていることから、1964年には運行を開始していたものと想定される。
18番・首里一周線の想定されるルートを以下に示す。
起点となる当蔵営業所は、かつての首里バスの本社である。そこから山川、儀保を経由して、現在の那覇バス新川営業所の近くに設置されていた新川バス停に向かっていたようである。このルートのうち、当蔵営業所~山川以外の区間が18番・真和志高校線に引き継がれている。
運行開始当初は1日80本運行されたが・・・
運行開始当初の18番・真和志高校線は、1日80本(泊廻り40本/日と開南廻り40本/日)が運行されていた$${^1}$$。
ただ、路線名ともなった真和志高校の周辺は、1977年12月当時は田畑が広がるエリアで、かつ現在の真和志高校前~一日橋を結ぶ県道82号線も未完成であり、交通の往来も少なく、路線バスの需要はかなり少なかったようである。
需要の少なさの影響は運行本数に顕著に表れ、運行開始から約3年後の1979年8月1日時点$${^2}$$で、平日・土曜日1日12本(泊廻り6本/日と開南廻り6本/日の合算)のみの運行となっていた。運行時間も、通学・下校時間に合わせた便のみに絞られ、平日は7時台、15時台、17時台、土曜日は7時台、10時台、12時台のみの運行であった$${^3}$$。
1983年に廃止
その後は、5番・識名線の一部便が真和志高校前を経由するようになったほか、真和志高校前を終点とする15番・寒川線の運行開始などにより、真和志高校周辺へのアクセス路線の開設が続いた。
さらに1983年7月10日には、南風原町新川に新しく新川営業所が新設され、首里方面からの3路線(12番・末吉線、13番・牧志線、14番・泊線)が新川営業所発着となると同時に、真和志高校前を経由することとなった。
この新川営業所開設の前日である1983年7月9日をもって、18番・真和志高校線は廃止となった。真和志高校への代替路線も充実し、敢えて18番・真和志高校線を残す必要はないという判断であろう。
18番・真和志高校線の廃止に伴い、5番・識名線の真和志高校前経由は、1日5本から1日8本に増便された、翌1984年2月16日からはさらに増便され1日12本となっている。寄宮、識名方面から真和志高校への需要はあったようだが、真和志高校前を跨いで首里方面までの需要は、当時はそこまではなかったのかもしれない。
脚注
(広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)
昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.23
那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.186