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94番・中部循環線の歴史を調べてみた
北谷町にある県立北谷高校は1976年4月に開校した高校である。
2024年7月現在は、75番・石川北谷線、112番・国体道路線が高校の近くを走っているが、かつてはもう1路線、北谷高校の登下校需要に特化した94番・中部循環線というバス路線が運行されていた。
開校と同時に運行開始
北谷高校の開校と同時に通学用の路線バスが琉球バスによって運行を開始している。当時の新聞記事を以下に示す。
今年4月に開校した北谷高校は生徒数360人。中の町校区、山内校区の約100人がバスを利用している。1学期は、暫定的に沖縄市体育館-国体道路-村民会館-北谷高校の路線で午前2回、午後3回バス運行した。
太字は筆者によるもの
上記の記事によると、この時点では暫定運行という扱いだったようで、かつ書いてあることをそのまま受け取ると、沖縄市民体育館を起点とし、北谷高校を終点とするかなり短い路線だったようだ。
当時の想定される運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
また、上記記事には続きがあり、途中の経由地上にある団地住民が、路線バスの乗り入れに反対していたようである。
これに対し「狭い住宅街をバスが運行すると交通事故が心配だ」と勤労者住宅協議会、桃原団地自治会などから反対の声が上がっている。現在は勤住協の住宅街約200mがバス路線に含まれている。
上記の新聞記事における勤住協(勤労者住宅協会)の住宅街とは、1977年12月当時の航空写真とバスルートから判断すると、町道見嘉作線の沿線に立地する住宅街のことかと思われる。
団地の住民が路線バスの乗り入れに反対するという事例は珍しいと思われるが、このバス路線が登下校時間帯のみの運行であり、住民からしたらメリットが無かったためであろう。
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1976年度中に本格運行開始?
本格運行の詳細な時期は不明だが、少なくとも1977年3月時点のバス路線図$${^1}$$には94番・中部循環線の運行ルートが確認できることから、1976年度中には本格運行に至ったようだ。
本格運行後の北谷高校周辺での運行ルートを以下に示す。
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暫定運行時とは異なり、町道見嘉作線は全く経由せず、北谷高校前にも乗り入れないルートとなった。代わりに、高校から東側に約500mほど離れた町道競技場線に北谷高校入口バス停が設置され、これが高校の最寄りバス停となった。前述の勤住協の住民に配慮した形であろうか。
また、起点は嘉手納町にあった嘉手納バスターミナルとなり、途中の団地入口バス停までは、既存の62番・中部線と同ルートであった。
なお、62番・中部線は北谷町側に折り返し用の駐車場(謝苅入口駐車場)が設置されていたが、94番・中部循環線には折り返し場は設置されず北谷高校周辺では周回するルートとなっており、時計回りとなる山里廻りと、反時計回りとなる国体道路廻りが運行された。62番・中部線を北谷高校周辺で循環して折り返すルートとしたので「中部循環線」だったのであろう。
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なお、国体道路の沿線はまだ開発途中であり利用が見込まれないと判断されたようで、佐久本商店前~北谷高校入口の約3kmの間はノンストップ運行であった。
北谷高校前を通るルートに変更
1981年8月$${^2}$$~1982年6月$${^3}$$ごろに北谷高校前を通るルートに変更されたようである。
変更後の北谷高校周辺の運行ルートを以下に示す。
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1977年12月以降に歩道付きである町道北谷高校前線や町道桑江中央線の西側区間が完成したことが理由であろうか。なお、まだ勤住協の住民からの反対があったためかは不明であるが、町道見嘉作線は最小限の通行であった。
読谷バスターミナル発着に変更
起終点であった嘉手納バスターミナルは、1993年4月$${^4}$$~1994年3月$${^5}$$の間に閉鎖されているが、94番・中部循環線は閉鎖される少し前の1990年4月$${^6}$$~1993年3月$${^5}$$ごろに起終点を読谷バスターミナルに変更していたようである。実質的に路線延長となった。
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読谷村内では、既存の28番/29番・読谷線と同様に、楚辺経由と喜名経由の2系統が設定された。読谷線の場合は、楚辺経由が28番、喜名経由が29番と系統番号が異なっていたが、94番・中部循環線については「94番」の前後の系統番号である「93番」も「95番」も既に使用されていたためか、楚辺経由も喜名経由も94番であった(楚辺経由が国体道路廻り、喜名経由が山里廻り$${^7}$$)。
なお、兄弟路線である62番・中部線も、94番・中部循環線と同時期に読谷バスターミナルが起点へと変更されたようであり、こちらも前後の番号である「61番」「63番」ともに使用されていたためか、現在に至るまで、楚辺経由も喜名経由も62番のままである。
末期は1日3本のみの運行
運行の目的が北谷高校への通学輸送であったことから、運行開始当初から運行本数は少なく、1979年8月1日時点$${^8}$$で1日6本のみの運行であった。
ただこの運行本数でも過剰だったようで、1984年3月末時点$${^9}$$で1日4本に減便、1993年3月末時点$${^4}$$で1日3本にまで減便され、廃止されるまでこの運行本数であった。
2003年10月をもって廃止
北谷高校の通学用として運行を開始した94番・中部循環線であったが、2003年4月23日に廃止予定路線として名指しされている。
琉球バスは23日、石川北谷線(系統番号75番)と中部循環線(94番)を今年10月に廃止する意向を表明した。
(中略)
琉球バスの担当者は、石川北谷線は一部国庫補助を受けているが「自社持ち出しが年間650万円ある」と説明。中部循環線については競合路線があるため需要が低いとした。
大半の区間が62番・中部線と重複していること、独自区間がある北谷町内での通学利用が少ないことを理由だったようだ。
また中部循環線につきまして、中部線(系統番号62)と約90%競合する路線となっておりますが、当初、北谷高校の生徒の利用が多くありましたが、現在、利用がほとんどなく、単独地区である北谷側での需要が低いことから、廃止を表明し、また年間赤字額160万円となっており、赤字を負担しながらも路線維持することは困難であるとの説明でありました。
太字は筆者によるもの
また、前述の新聞記事によるとこれまで補助金等の支援もなく、その後も支援は無かったようで、予定通り2003年10月末をもって廃止された。
廃止直前時点では、朝に国体道路廻りと山里廻りが1本ずつの合計2本、夕方に北谷高校前を起点とし、山里経由で嘉手納方面へ向かう区間便1本の合計1日3本が運行されていた$${^7}$$。いずれも平日のみの運行であった。
なお、94番・中部循環線と同様に北谷高校前を経由する75番・石川北谷線も廃止路線として挙がっていたが、こちらは石川市(現・うるま市)が赤字分を負担することで存続することとなり、2024年7月現在も運行されている。
石川市の市当局と市民で構成する市バス対策会は5日、10月廃止が提示されている琉球バスの75番石川北谷線について協議、市が赤字分を負担することで、同路線を存続させる方針を申し合わせた。1日の便数は市に一任する。
脚注
運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)
昭和55年度 業務概況(1981年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.30
昭和56年度 業務概況(1982年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.30
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26、P.28
平成6年度 業務概況(1994年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29
バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)p.88
昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.29
昭和58年度 業務概況(1984年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.31