那覇バスターミナルの歴史(前編)
那覇バスターミナルは、設置されてから1回の移転、2回の建て替えを行っている。建て替えも代変わりとすると現在のバスターミナルは4代目となる。初代から4代目に至るまでの歴史を整理してみた。
初代は現在の那覇市役所がある場所に建設
初代那覇バスターミナルに関する情報は、那覇市議会録が一番詳しいと思われる。
まずは、1954年8月の議事録から。
これによると「武徳殿」の裏側にバスターミナルを設置するとあり、これが初代那覇バスターミナルのことである。「武徳殿」とは当時あった武道場のことであり、1989年9月に解体され跡地は沖縄県議会棟敷地の一部となっている$${^1}$$。この裏側にバスターミナルを設置したとあるが、現在の那覇市役所が立地している場所のことである。
位置関係を2010年9月時点の航空写真上に示してみた。
また、初代バスターミナルが存在した1959年7月当時の航空写真を以下に示す。
画質があまりよくないが、初代バスターミナルの位置に、バス車両らしきものが確認できる。またこの当時、既に2代目那覇バスターミナルが建設中である(後述するが2代目は1959年9月1日に開設)。
続いて1954年12月の議事録である。
バスターミナルがなかったこの当時は、各社が牧志街道(現在の国際通り$${^2}$$)周辺にバス営業所を設置し、そこから乗降する形であった。すなわち、今の感覚からすると不便極まりないが、同じ行き先でもバス会社によって発着地が異なっていた。
この議事録によると、これらのバス営業所を廃止し、その代わりにバスセンター(バスターミナル)を設置するとされている。なお、1つ前の議事録によると、バスターミナルの完成後は、牧志街道上にバス停を設置するとあり、これが現在の国際通りに設置されているバス停の前身となる。
初代は仮バスターミナルとして建設
続いて1955年5月の議事録である。
これによると、初代那覇バスターミナルは1954年12月5日に開設されたということが確認できる。また予定通り、従来のバス営業所(バス乗り場)は廃止されたようである。
この議事録上では「仮」バスセンターとなっているが、1957年9月の議事録によると、那覇市の都市計画を円滑に進める関係上、バス乗り場の集約が急務だったようで、そのために市有地に暫定のバスターミナルを設置したようである。
仮バスターミナルとは言え、各社の営業所を廃止してまで設置された施設であるので、これを初代バスターミナルの扱いとしたいと思う。
2代目は建設・運営の主体が二転三転
初代はあくまで仮バスターミナルであったため、開設の約2年後には、早くも2代目バスターミナル設置に関する議論が議事録には残っている。議事録からの引用は煩雑となるため、要点だけを時系列にまとめなおしてみた。
1956年3月に恒久的な那覇バスターミナルを、旭町の旧那覇駅の敷地に建設することを決定$${^3}$$。
1956年4月に那覇市がバスターミナルを建設、運営することが市議会で決定$${^4}$$。建設費は全額債権で賄う予定であったが、用地買収費は未検討$${^4}$$。
那覇市とバス会社6社(昭和産業、沖縄バス、那覇交通、東陽バス、沖縄青バス、首里バス)が共同出資したバスターミナル会社を設立し建設、運営する案に変更$${^4}$$。
那覇市とバス会社との間で出資比率の問題が解決せず白紙に戻り、市の直営工事案に再度変更$${^4}$$。一方でバスターミナル会社は、市有地(保留地)を買収して、独自にバスターミナル事業を進めようと検討$${^4}$$。
1958年7月に那覇市の財政的に保留地の買収が困難であることから、バス会社に保留地を譲渡(バスターミナル会社が買収)することを決定$${^5}$$。
当初は市営を予定していたものが二転三転し、最終的にバス事業者が出資した那覇バスターミナル株式会社が建設、運営する方向になったようである。
沖縄バス30周年誌によると、1957年7月11日に那覇バスターミナル株式会社が設立されたとあり、これが前述の独自に事業を進めようとしたバスターミナル会社のことであろう。最終的に市営が断念されたのが1958年7月のことなので、前年にはバス会社側で動き出していたようだ。
沖縄バス30周年誌によると、2代目バスターミナルの運用開始は1959年9月1日とのことなので、仮であったはずの初代那覇バスターミナルは結局5年近く運用された。
構想で終わった2代目バスターミナルの本館建設
1970年5月当時の航空写真を以下に示す。
現在地と変わらない場所に2代目那覇バスターミナルが確認できる。現在の国道329号側に建物があるが、これがターミナルビルであり、2階建てのビルであった。
このターミナルビルの中に各社の営業所が入っていたようだが、これは正式には別館であったようである。では「本館は?」ということになるが、当初はバスターミナルの敷地中央部に建設予定であった。ただ、最終的に建設されることは無かった。
敷地中央に本館を建設したら駐機場の施設が無くなるのでは・・・と思ったのだが、1963年に那覇バスターミナル株式会社は旭町地先公有水面埋め立て地の一部を買収しており、これがもしかしたら駐機場の予定の土地だったのかもしれない。3,000坪という広大な土地を買収しているが、前述の1970年当時の航空写真ではそれらしき敷地は確認できないので、本館の建設を断念した際に、不要となったため他所に売却されたのか?
本館は完成しなかったものの、初代同様にバス営業所機能を引き継いでいたためか、洗車機や給油所もあり、施設としてはかなり充実していたようである。
3代目以降は後編で
長くなってしまったので、3代目からは後編にしたいと思う。
脚注
那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-07月02日-09号
那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-06月14日-03号
那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-07月10日-11号
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