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短命だった那覇交通の6番・神原線
6番・神原線とは、かつて那覇交通が運行していたバス路線である。運行期間はかなり短く、1976年~1977年の約1年のみであったことから、「75番・呉我山線」以上に知名度が低いバス路線かもしれない。
神原とはどこか?
路線名にもなった『神原』であるが、住所としては存在しない地名である。ただ、2025年2月現在も姫百合通り(国道330号)に「神原バス停」があり、バス停の近くには「市立神原小学校」「市立神原中学校」「中央消防署神原分署」といった『神原』が冠された公共施設が多く存在することから、おおよそ示すエリアは想像がつくと思う。
住所上は「那覇市樋川」になるのだが、かつてこのエリアが『神里原』と呼ばれていたのが、一部の施設には『神原』として残ったようだ。
前身は6番・一周線
6番・神原線自体は約1年間のみの運行であったが、この路線には前身となる「6番・一周線」というバス路線があったので、まずはそこから。
6番・一周線は、1957年12月2日に認可を受けている。1日64本が運行されたようだ。
1957年12月2日 一周線認可(4台64回)
那覇市上之蔵に設置された西武門営業所を起終点とし、壺川、与儀、安里、泊を経由して、路線名の通り一周するバス路線であった$${^1}$$。
当時の想定される運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
1961年には、西武門営業所が閉鎖され、西本町営業所が新設されたことにより、起終点を西本町営業所に変更している。
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需要はあったようで、西本町営業所発着となった際に、運行本数も1日188回と倍増したようである。
一周線(上之蔵-壺川-上之蔵)9.1粁 4両 64回(昭和32年12月2日免許)
その後起点終点を西本町に変更、同時に8両188回に変更認可(昭和36年5月25日)
1972年には、起終点が小禄営業所に変更された。この小禄営業所は、以前ご紹介した初代・小禄営業所である。
さらに起点終点を小禄に変更、同時に路線を那覇大橋と宇栄原第二ゲート経由に延長認可(昭和47年5月1日)路線粁13.9粁となる。
変更後の想定される運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
1976年に6番・神原線が新設
長くなってしまったが本題の6番・神原線についてである。
6番・神原線は、1976年5月1日に運行を開始した$${^2}$$。この日は、三重城営業所が新設され、那覇市内線の大再編が実施された日である。
繰り返しになるが、6番・一周線を前身としていたため、赤嶺経由から航空隊経由に変更された程度で、大半のルートはそのまま残り、起終点が小禄営業所から三重城営業所へ変更された形であった。
6番・神原線の運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
全ての那覇市内線が、三重城営業所を起終点とする「一周線」となったためか、路線名は、経由地に由来する「神原線」へと変更された。運行本数は、6番・一周線時代の1日188本$${^3}$$からは大幅に減便され、1日60本$${^2}$$となった。
「一周線」から「神原線」と名を変えたが、「神原バス停」を経由する那覇市内線は、6番・神原線以外に、12番・末吉線、15番・開南線、16番・金城線、17番・石嶺線があったので、「神原」を唯一通るバス路線というわけではなかった。一方で、那覇大橋や航空隊前を経由する唯一の那覇市内線であった。
ただ、牧志も開南も経由しないルートが影響したのか、1977年(昭和52年)6月1日には運行休止となり、翌1978年(昭和53年)6月28日には廃止された。運行期間は約1年と、非常に短命な路線であった。
昭和52年6月1日 神原線運行休止
昭和53年6月28日 神原線廃止
なお、三重城営業所移転に伴い新設されたバス路線で、早々に廃止されたものとしては、15番・開南線(1977年10月1日廃止)や16番・金城線(1979年2月27日廃止)があるが、いずれも17番・石嶺線に吸収される形での廃止であった$${^4}$$。
一方の6番・神原線は、「●●線への吸収により廃止」の文言が見られなかったことから、他の路線で代替するほどの需要もなかったのかもしれない。
脚注
'71 最新那覇市街図(1971年 創芸社)
(広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)
昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23
那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99、101