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那覇市松山地区を経由するバス路線があった

沖縄県那覇市松山地区とは、沖縄の大動脈である国道58号とその西側を通る県道43号線(若狭大通り)に挟まれたところにある地区である。

「バス路線があった」と書いたが、正確には、松山地区の東側の境界である国道58号や南側の市道松山通りは多数の路線バスが走っているし、西側の境界である県道43号線にも那覇バスの3番・松川新都心線が走っている。
だが、かつては松山地区を貫くように路線バスが走っていた時代があった。

松山地区周辺の路線バス運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

松山地区を東西に貫く琉石通り

まずは松山地区を貫く、琉石通りと若松通りの2つの通りを紹介する。
1つ目の琉石通りとは、国道58号の松山交差点と県道43号線の若狭交差点を東西に結ぶ市道である。

市道琉石通り
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通り名の由来は、かつて油株式会社(現・株式会社りゅうせき)の本社がこの通り沿いに立地していたためである。りゅうせき創立70周年誌$${^1}$$によると、現在の「グレース松山(分譲マンション)」が立地しているところに本社があったようである。地図で示すと以下である。

琉石通り上に設置されていたバス停は1つのみで「琉石前」バス停であった。1980年に発行されたバス路線図$${^2}$$によると、かつての琉球石油本社のほぼ目の前に設置されていたようである。

市道琉石通りとバス停
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

松山地区を南北に貫く若松通り

もう1つの若松通りとは、県道43号線と琉石通りを南北に結ぶ市道である。

市道若松通り
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

通り名になっている若松という住所は存在しないが、1960年ごろには那覇市若松町という住所を誕生させようとしていた$${^3}$$ようなので、松山と若狭など、周辺地区を総称して若松と呼んでいた名残かもしれない。なお、地名としての若松は、現在でも国道58号上に「若松入口」バス停として健在である。

この若松通りには、3つのバス停があり、北から「若松橋」「松山入口」「松山二丁目」であった。このうち、「若松橋」バス停は、若松橋北詰にあり、住所で言うと前島に立地していた。
残りの2バス停は松山に立地していたが、存在自体が古いためか、現地にバス停があった形跡は全く残っていない。

市道若松通りとバス停
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお、1976年5月1日当時のバス路線図$${^4}$$によると、「若松橋」は変わらないが、「松山入口」は「湧川商会前」、「松山二丁目」は「高田商会前」であった。

14番・泊廻り線が走っていた

現在は路線バスが走っていない「琉石通り」「若松通り」を走っていた路線は、那覇交通の14番・泊廻り線であった。「若松通り」のうち松山地区の区間は「若松卸問屋街通り」とも呼ばれ、数多くの卸問屋が立地しており賑わっていた$${^5}$$ことから、かつては他にも多くの路線が通行していた可能性があるが、1976年5月1日の那覇市内線の大再編後時点では14番・泊廻り線のみであった$${^4}$$。

14番・泊廻り線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この14番・泊廻り線であるが、路線名は「泊線」ではなく、「泊廻り線」が正式であった。単なる表記ブレのようにも見えるが「廻り」と付いていたことにはちゃんと意味があり、当時運行されていた13番・牧志線のうち、復路が泊経由となる系統を、泊廻り線として独立させたものであった。
具体的なルートで言うと、13番・牧志線は、三重城営業所を起点とし、牧志を経由して、首里地区で折り返し、再び牧志を経由して、三重城営業所を終点とする路線であった一方で、14番・泊廻り線は、往路は13番・牧志線と同じく、三重城営業所を起点とし、牧志を経由して、首里地区で折り返しだったが、その後の復路は、牧志を経由せず、泊経由で、三重城営業所を終点とするルートであった。
運行ルートを以下に示す。

13番・牧志線と14番・泊廻り線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

13番・牧志線からの派生路線としての扱いだったためか、資料によっては、14番・牧志線(泊廻り)という表記になっているものもあった$${^6}$$が、なぜ13番・牧志線の泊廻りにしなかったかは謎である。1976年の再編以前に、泊を経由する14番・泊廻り線という路線が存在$${^7}$$したため、または13番・牧志線としてしまうと、復路で牧志を経由しないことから路線名と経由地が一致しないため・・・などが理由であろうか。

首里発・三重城行きのみが停車

先ほどの運行ルート図をみてお気づきの方もいるかと思うが、14番・泊廻り線は、三重城→泊→首里の運行は無く、首里→泊→三重城のみの運行であった。そのため「琉石通り」「若松通り」でも、泊から三重城に行くバスは走っていても、逆は運行されておらず、1980年当時のバス路線図$${^2}$$においても、「若松橋」「松山入口」「松山二丁目」「琉石前」は三重城行きのみの記載となっている。

14番・泊廻り線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

道幅が狭く一方通行でしか走れなかったのか、または並行する国道58号や県道43号にて頻発運行されていた他の路線を利用してほしかったのか、理由は不明である。ただ、14番・泊廻り線自体が、あくまで13番・牧志線の派生路線的な存在であったためか、そもそもの運行本数はかなり少なく、始発は午前6時10分、最終は午前8時の朝ピーク時のみ、かつ1日9本のみの運行であった$${^8}$$。

1981年には県道43号線経由に変更

少なくとも1980年時点では「琉石通り」「若松通り」を走っていた14番・泊廻り線だが、翌1981年時点のバス路線図$${^9}$$では、県道43号線経由に変更されている。

県道43号線経由となった後の14番・泊廻り線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

県道43号線経由になったからと言って、運行本数が増えているわけでもなく、変わらずの一方方向のみの運行であることから、やはり13番・牧志線のオマケ的な路線であったのだろう。この変更に伴い、泊港務所前~若狭間ででは3番・松川線と同じルートとなったことから、独自ルートは無くなり、全ての区間で他の路線と重複することとなった。

なお、現在の「琉石通り」は、夜が賑わう繁華街となっていることから、路線バスが走る日中よりも、深夜以降の方が需要が高そうなエリアであり、「若松通り」は、賑わいの元となっていた卸問屋の多くが、1991年に浦添市西洲に移転$${^1}$$$${^0}$$してしまったことから、多くの建物が更地化され駐車場となってしまっている。道路自体の走行環境は悪くないのだが、敢えて走らせるほどの需要は、今後も出てこなさそうだ。

14番・泊線の歴史について調べてみた

ここからは松山地区とは全く関係が無くなるが、この記事で主役となった14番・泊廻り線について、いろいろ調べて整理してみたので、紹介したいと思う。

那覇交通新川営業所の記事でも書いたように、1983年7月10日に14番・泊廻り線は、首里地区折り返しから、新川営業所終点へと路線延長された。この際に、往路で牧志を経由することが無くなったためか、「泊廻り線」から「泊線」に変更され、ちゃんとした独立路線となった。ただ、運行本数は相変わらず少なく、1日6本のみ(儀保経由1日3本と当蔵経由1日3本)であり、かつ泊地区からの視点だと、従来と変わらず、新川営業所→首里→泊→三重城営業所の一方方向のみの運行であった。

那覇交通(銀バス)株式会社は、南風原町字新川に新川営業所を新設、それに伴い、県陸運事務所に那覇市内の路線再編を申請していたが、同事務所は28日付で申請を認可した。今回の路線再編は大幅で、7月10日から新路線を実施する。
 (中略)
【泊線】新川、鳥堀、泊高橋、三重城の泊線を独立させ、泊高橋経由牧志線を廃止する。赤平経由3回、当蔵経由3回

銀バス、市内路線を大幅再編/南風原町(新川)にも新営業所(1983年6月30日 沖縄タイムス)

これが両方向運行となったのは、1986年8月12日のことであり、同時に新川営業所発着から石嶺営業所発着へと変更された。逆方向の便が新設はされたものの、運行本数はさらに減少し、1日2本(往復合計で1日4本)のみとなった。

那覇交通(銀バス)は、12日から那覇市内の路線を再編する。
 (中略)
泊線はこれまで新川営業所発、当蔵回りと儀保回りが朝3本ずつ運行されていたが、今後は石嶺営業所→儀保→鳥堀→山川→泊高橋→三重城の路線となり、朝2本運行するほか、夕方の退勤時にも逆コースで2本運行し、通勤、通学の足の便宜を図る。

銀バス 那覇市内の路線再編/寄宮線廃止 識名線新設(1986年8月12日 沖縄タイムス)

その後は1990年3月末時点$${^1}$$$${^1}$$で、三重城発石嶺行きは1日1本に減便(石嶺発三重城行きは1日2本で存続)され、他の路線と全区間で重複ことを理由に、那覇交通最終日の2004年7月17日をもって廃止されている$${^1}$$$${^2}$$。

14番・泊廻り線および14番・泊線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

脚注

  1. りゅうせき70年史(2020年8月 りゅうせき発行)p.51

  2. バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)

  3. ~消えた町名~(那覇市Webサイト)

  4. (広告)今日から那覇市内路線が変わりました。(1976年5月1日 沖縄タイムス)

  5. 那覇市松山「若松卸問屋街通り」(1) 卸問屋街の景観形成(2016年3月30日 沖縄の風景)

  6. (広告)銀バス新路線登場!!(1983年2月1日 沖縄タイムス)

  7. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.23

  8. 昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.23

  9. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.187

  10. 美栄橋から若松問屋街通りまで(2019年1月25日 ゴーヤー茶日記 どぅ ちゅぃ むに~)

  11. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.21

  12. 那覇バスきょう発車/銀バス別れの時/客は路線減に不満(2004年7月18日 沖縄タイムス)


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