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那覇空港と路線バスの歴史

県外から沖縄本島に来る際には、ほぼ確実に利用することになるのが那覇空港である。今回は那覇空港と路線バスの歴史について整理してみた。

旅客ターミナルの完成と路線バス乗り入れはほぼ同時

戦後、那覇空港に最初の旅客ターミナルができたのは、1959年(昭和34年)とのことである。

昭和34年 旅客ターミナル完成。旧国際線ビル、現在の第2ターミナルの位置。

(出典)那覇空港プロジェクト―那覇空港のうつりかわり

那覇交通創立30周年誌によると、空港への路線が認可されたのも1959年(昭和34年)のようなので、ターミナル完成とほぼ同時に、路線バスも乗り入れを開始したようである。空港線は、当初は14本/日のみの運行であったが、その約5年後の1964年には50本/日にまで増便されている。なお、本土復帰の1972年5月15日までこの1路線のみの乗り入れであった。

空港線(上之蔵-空港-上之蔵) 21.1粁 4両 14回
(昭和34年9月29日免許)
その後起点終点を西本町に変更認可
(昭和36年5月25日)
さらに8両 50回に変更認可
(昭和39年11月16日)

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.39

1970年5月当時の空港周辺の航空写真を以下に示す。

1970年当時の那覇空港 1970/05/12撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701-C11-14】を筆者が加工)

当時のバス停名は不明であるが、ターミナルは1つしか無かったので、単なる「空港」とかだろうか。なお、当時はアメリカ占領時代であるため米軍管理下にあった那覇空港の滑走路等(上記航空写真の左下)は黒塗りとなっている。

本土復帰後にバス路線とターミナルビルが新設

本土復帰後の1972年(昭和42年)8月1日より、まず空港乗り入れ2路線目である急行線の運行が開始された。これも1路線目と同じく那覇交通が運行する那覇市内線であり、空港を起点に、国際通りを経由し、沖縄グランドキャッスル(現在のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城)を終点としていた。

ここにおいて、当社は復帰後の空路と陸上のスムーズな連絡運輸を行なうことに着目して、昭和47年8月1日から空港と市内都心部を直結する急行バス(1両、運賃50円均一)の運輸開始

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.88~89

急行線(沖縄グランドキャッスル-牧志-空港) 9.0粁 2両 11回
(昭和49年4月6日免許)

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.39

続いて1975年(昭和50年)7月19日には、那覇交通の石川(大山)線が、起点を那覇バスターミナルから空港に変更(路線延長)し、3路線目の乗り入れ路線となった。

昭和50年7月19日 石川線(石川-空港線)運行開始

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.95

一時は3路線にまで増加した乗り入れ路線だったが、1977年(昭和52年)8月31日をもって急行線は運行休止、翌年8月には廃止となっている。

昭和52年9月1日 急行線運行休止
昭和53年8月2日 急行線廃止

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99、101

また初の乗り入れ路線である空港線は、1980年(昭和55年)3月15日をもって那覇バスターミナル~開南~三重城営業所間が廃止となり、空港~那覇バスターミナル間のみの運行へと変更されている。

空港線のルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

昭和55年3月16日 市内空港線(寄宮廻り)廃止
昭和55年3月16日 市内新空港線(空港~那覇バスターミナル間)運行開始

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.103

空港ターミナルは、1975年(昭和50年)4月に本土線ターミナルビル(国内線ビル)が完成した。このビルはあくまで本土線(県外線)用であり、県内の離島への便は島内ビルが別に設置されていた。以下に1977年12月当時の航空写真を示す。

1977年当時の那覇空港 1970/05/12撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C58-3】を筆者が加工)

島内線ビルは運行航空会社である南西航空(現在のJTA)の名称を取って、南西航空ビルとも呼ばれていたようで、1977年当時の路線図$${^1}$$でも、バス停名は南西航空前となっていた。
ちなみに1976年5月1日の那覇市内線の大再編時(三重城営業所集約時)の路線図によると、国際線ビル前と国内線ビル前の間に、国内線ビル入口というバス停があったようだ。このバス停は、1977年当時の路線図$${^1}$$には既に記載がないので、長くても2年程度(1975~1977年)のみの設置であった。

新国際線ターミナルと国内線第二ターミナルビルが完成

1986年(昭和61年)3月には新しい国際線ターミナルビルが完成した。また、翌1987年2月には元国際線ターミナルビルを改装した国内線第二ターミナルビルが完成した。
1993年8月当時の航空写真を以下に示す。

1993年当時の那覇空港 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C49-4】を筆者が加工)

バス停についても、(新)国際線ビル前が新設され、(旧)国際線ビル前は国内線第二ビル前に、国内線ビル前は国内線第一ビル前にそれぞれ改称された。また、南西航空前は廃止されている。

那覇交通以外のバス路線も運行を開始

路線バスに関しては、1988年5月1日に初めて那覇交通以外の路線が那覇空港へ乗り入れることとなった。111番・高速バス(那覇空港~沖縄自動車道~名護市)の運行開始である。ただ運行開始に際して、那覇交通に配慮したのか、那覇市内と那覇空港間の利用はできないよう、那覇市内のみの利用は不可(クローズドドアシステム)となっていた。

その後1992年8月には、琉球バスと沖縄バスが運行し、那覇交通が全く運行に関わらない、120番・空港リゾート西線(空港~国道58号~名護市)も空港発着路線として運行を開始した。120番についても運行開始当初から那覇市内のみの利用は不可(クローズドドアシステム)となっていた。
なお、この2路線のクローズドドアシステムは、1993年11月19日をもって運用廃止となっている$${^2}$$。

国内線ターミナルが移転、貨物ターミナル前にもバスが停車

2つに分かれていた国内線ターミナルは、1999年5月に新設された国内線旅客ターミナルに移転し、統合された。
2005年1月当時の航空写真を以下に示す。

2005年当時の那覇空港 2005/01/24撮影
(国土地理院の空中写真【COK20041X-C8-3】を筆者が加工)

バス停は、国内線第一ビル前と国内線第二ビル前が廃止となり、新たに国内線旅客ターミナル前が新設された。国際線ビル前は、国内線に表記を合わせて国際線旅客ターミナル前に改称されている。
なお、(旧)国内線第二ビル前のバス停付近には、数か月後の1999年8月16日に貨物ターミナル前バス停が設置されている。

なお、貨物ターミナル前は、運行ルート上の関係で北向きのみの設置であり、南向けは停車することは無いが、南向きにもバスベイが設置されている。これは、1993年当時の航空写真でも確認ができることから、(旧)国内線第二ビル前のバス停の名残だと思われる。

貨物ターミナル前と(旧)国内線第二ビル前 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C12-6】を筆者が加工)

貨物ターミナル前は、名前の由来となる貨物ターミナルが移転してしまったため、2009年7月9日をもって廃止されている。ただバス停の跡地は、2023年1月現在でもGoogleストリートビューで確認ができる。北側から見たGoogleストリートビューを以下に示すが、手前左側が(旧)国内線第二ビル前、奥右側が貨物ターミナル前である。

最新の航空写真である2010年9月当時の航空写真を以下に示す。

2010年当時の那覇空港 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C12-6】を筆者が加工)

2005年からの変化点は、貨物ターミナル前の廃止くらいである。なおその後、(新)国際線ターミナル、際内連結ターミナルの完成に伴い、国際線旅客ターミナル前の乗車バス停の移設や降車バス停の廃止が行われている。

脚注

  1. 運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)

  2. 運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)

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