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久茂地バス停の立地は730の名残?

那覇市にある久茂地バス停は、那覇バスの市内線のみが停車するバス停である。このバス停の不思議なところは、バス停を出発後に3車線を跨ぐ車線変更が必須となる県庁向けにしか設置されていない点である。
これは730の名残ではないかと思っているのだが、調べてみても決定的な確証が見つけきれておらず、記事にせずに保留にしていた。ただ、いっこうに確証が得られないため、730にちなんで本日7月30日に、仮説ではあるが投稿する。


久茂地バス停の立地

まずは久茂地バス停の位置を以下に示す。
国道58号上の旭橋から久茂地交差点へ向かう途中に設置されている。前述の通り、県庁向けのみの設置である。

久茂地バス停および周辺バス停の立地
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

併せて、2024年7月現在、久茂地バス停に停車するバス路線のバスルートも示した。停車する全てのバス路線が、久茂地バス停を出発後は、久茂地交差点を右折し、県庁方面へ向かうルートである。

2車線を跨ぐ車線変更が必要

久茂地バス停から久茂地交差点までの距離は約200mであるが、この短距離で、沖縄の大動脈である国道58号を、大型車両が3車線を跨ぐ車線変更をしないといけないルートとなっている。

久茂地バス停と久茂地交差点の位置関係

夕方の帰宅ラッシュ時は、さすがにこの短距離での車線変更が困難であるためか、久茂地バス停を出発してすぐのところに、夕方限定の停車禁止帯が設置されている。
さらに、2000年代初頭までは、バス専用信号機が設置され、路線バスの車線変更を支援していたこともあった。

久茂地バス停と久茂地交差点の位置関係
(バス専用信号機の運用時)

730以前は車線変更が不要だった

このような運転手泣かせである久茂地バス停の立地であるが、730以前の右側通行の時代であれば、下記の通り車線変更が不要であった。

久茂地バス停と久茂地交差点の位置関係
(730以前の右側通行時)

よって、730以前の右側通行時代には、全く問題の無かったバス停配置が、730以後の左側通行時にも変更されずに残ってしまったことが、現在のような3車線跨ぎが必要となる要因ではないかと推察した。

なお、730による交通方法の変更に際して、バス停は交差点を過ぎた位置になるように変更する工事が各地で実施されたようであるが、与那原バス停のように未実施の箇所も存在した。

この久茂地バス停も、久茂地交差点を右折した先の道路上に、新たにバスベイを設置する土地が無かったことから、移転されずに現在に至るまで残ったのではないかと想定される。冒頭でも書いたように確証はないが・・・。

久茂地バス停と久茂地交差点の位置関係

琉銀本店前は久茂地だった?

なぜ3車線も跨ぐ車線変更が必要となるバス停立地であるかは、かなり想定が含まれるが一応判明した。一方で、なぜ県庁向けにしか設置されていないという点がもう1つの謎であったが、この理由について、730以前の1977年当時のバス路線図$${^1}$$から推察してみた。
以下に1977年当時の久茂地交差点付近の那覇交通のバス路線図を示す。

1977当時の那覇交通のバス路線図
(久茂地バス停周辺を抜粋)

2024年7月現在のバス停名とは異なるため少しややこしいかもしれないが、那覇保健所前は現在の県庁北口、日本銀行前は現在の沖縄タイムス前、県議会前は現在の県庁前、県庁前は現在の沖銀本店前(とパレットくもじ前)である。
そうなると、2024年7月現在も立地している琉銀本店前バス停が存在しないことになるが、この路線図を素直に読み取ると、県庁方面から商業高校前に向かうルート上にも、久茂地バス停があることになり、この久茂地バス停が現在の琉銀本店前バス停という可能性が考えられる。
地図に落とすと以下のような配置である。

久茂地バス停および周辺バス停の立地
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この配置であれば、730以前の右側通行以前の流動を考えても自然である。

久茂地バス停と久茂地交差点の位置関係
(730以前の右側通行時)

あくまで想定だけど

以上が、久茂地バス停の不思議な立地は730が要因であるという説である。ただ繰り返しになるが確証はない。。。

脚注

  1. 運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)

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