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豊見城団地と路線バスの歴史
豊見城市にある豊見城団地は、かつては県内最大規模の公営住宅であり、最盛期には1,195戸の住宅を有していた。
かつては、この豊見城団地を終点とするバス路線が運行されていたが、後に豊見城団地は途中経由地となり、現在は、那覇市と糸満市を結ぶ446番・那覇糸満線の一部便(豊見城団地経由)が経由している。
豊見城団地について
「豊見城団地」は、豊見城市平良に位置する公営住宅であり、元は1969年~1976年に琉球住宅公社・沖縄県住宅供給公社が建設したものである。建設から約30年が経過した2000年代になり、老朽化に伴い建て替えが検討されたが、かつての建設主体であった住宅供給公社単独では資金的に建て替えが困難となっていたことから、沖縄県と豊見城市が公社に代わる形で建て替えを進めた。その際に建て替えだけでなく、土地の所有自体も県と市に分担されることとなり、元々3ブロックあったうち、西側のAブロックは住宅供給公社が引き続き所有、北側のBブロックは県が所有、南側のCブロックは市が所有という形となった。
こういう経緯があるため「豊見城団地」と一括りにはしているが、現在の正式名称では「豊見城団地県改良住宅(旧・Bブロック)」「豊見城団地市改良住宅(旧・Cブロック)」という2つの団地に分かれている。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
なお似たような名前で「県営豊見城団地」も近くに立地しているが、こちらは当初から県営住宅だったためか「豊見城団地県改良住宅」とは別扱いのようであり、一般的に「豊見城団地」と言われる際には、含まれないようである。
那覇交通によって乗り入れが開始
前述のように豊見城団地は1969年~1976年に建設されたが、路線バスの乗り入れが開始されたのは団地が建設されてからしばらく経過した1979年(昭和54年)5月9日のことである。初のバス路線は、那覇交通の95番・豊見城団地線であった。
昭和54年5月9日 市内小禄松川線、市外豊見城団地線新設運行開始
なお、当初の運行ルートは、壺川経由だったようだが、後に開南経由が新設されている。1日17本が運行されていたが、1日9本が壺川経由、1日8本が開南経由であった$${^1}$$。
昭和55年8月20日 市外豊見城団地線(開南経由)運行開始
1981年3月末当時の運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
豊見城団地内では、現在は路線バスが走っていない豊見城小学校前も経由しており、豊見城団地内で一周するルートで運行されていた$${^2}$$。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
このうちC-19棟やB-7棟というのは団地内の建物番号であり、現在は建て替えられてしまったため現存しない。かつての建物配置の図面があったので、バスルート、バス停を追記してみた。
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(出典)「豊見城団地地区事業計画報告書(H16.3)」を筆者が加工
糸満線に吸収合併
団地アクセス路線として運行を開始した95番・豊見城団地線であったが、その運行期間は短く、運行開始から4年経たずの1983年1月5日をもって廃止された。赤字路線であったことが廃止理由である。
ただ豊見城団地から路線バスが完全撤退したわけではなく、翌日(1983年1月6日)からは33番・糸満線に従来の本線(保栄茂経由)とは別に、豊見城団地経由が新設されることとなった。
当時の関連する新聞記事を3つほど抜粋する。
那覇と豊見城団地を結ぶ銀バスの「豊見城団地線」が、赤字路線を理由に近く廃止される。
(中略)
同線は昭和54年5月に、地域住民の強い要望で開設された。しかし年間380万円もの赤字をだすことから、経営難に苦しむ会社側は団地線を糸満線に統合、「豊見城団地経由糸満線」として1日17回運行することを決めた。
豊見城団地線は、糸満線として吸収する。同団地線は現在、バスターミナル出発、県庁前ー上泉ー大橋ー小禄ー豊見城村役所ー豊見城団地経由が、これをバスターミナルー開南ー与儀十字路ー大橋ー小禄ー豊見城村ー波平に変更する。そのかわりに糸満線を武富ハイツ、豊見城団地経由する。1日当たり17回数は現在と同じ。
昨年暮れ沖縄総合事務局からバス路線再編について免許と認可を受けた那覇交通(白石武治社長)は、新路線の運行を6日から実施する。
(中略)
また豊見城団地線は廃止し、糸満線を豊見城団地経由にする。これによって糸満線は武富ハイツ、豊見城団地経由になるほか、与儀十字路-開南も回る。逆に古波蔵インターチェンジ-上泉間は通らない。
豊見城団地経由新設時の33番・糸満線の運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
廃止となった95番・豊見城団地線のルートを踏襲したため、那覇市内では従来の本線(保栄茂経由)が山下経由であったのに対し、豊見城団地経由は那覇大橋経由となった。
一方で、豊見城団地内では、循環ルートではなくなり、武富方面へ抜けるルートへと変更された。この際に、団地内を大回りするルートではなく、最短で抜けるルートが存続したため、C-19棟~豊見城小学校前~B-7棟の区間からは路線バスが撤退することとなった。
この区間は後に105番・豊見城市内一周線が一部経由する案が挙がったこともあったが実現しておらず(後述)、2024年5月現在もバス路線が走らない区間となっている。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
なお武富ハイツから先のルートは、現在は県道82号バイパス線を経由するルートであるが、このバイパスは1990年以降の供用であったため、それ以前は市道経由だったようである。この市道沿線は田畑のみであり、需要が見込まれなかったためかバス停は設置されていなかった$${^3}$$。
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(国土地理院の空中写真【OK841X-C14-5】を筆者が加工)
大橋経由から山下経由に
1988年7月6日からは、那覇市側でも33番・糸満線の本線と同じ山下経由へと変更された。なお同日をもって、那覇市から西原町へ向かう46番・西原線と統合されたため、33番・糸満西原線の山川・開南・豊見城団地経由として運行されることとなった。
那覇交通(銀バス)市外線の33番糸満線と46番西原線が路線再編成でドッキングして新たに33番糸満西原線(末吉、牧志、保栄茂経由)(保栄茂、開南、山川経由)(豊見城団地、開南、山川経由)となり、6日から運行開始する。これに伴って従来の西原線は廃止される。
変更後の運行ルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
なお、その翌年である1989年7月20日には再度ルート変更が実施され、山川~開南~豊見城団地経由から、山川~牧志~開南~豊見城団地経由へと変更された。
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また、1990年4月$${^4}$$~1993年3月$${^5}$$頃には、末吉経由が33番・糸満西原線、山川経由が46番・糸満西原線へと別路線となっている。この際に、豊見城団地経由は山川経由と一体となっていたためか、46番・糸満西原線の豊見城団地経由へと変更された。
なお、武富ハイツから先のルートが、県道82号バイパス線経由となったのも、バイパス供用年(1990年以降)と1993年11月1日時点のバス路線図$${^6}$$を踏まえると、ほぼ同時期のようだ。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
市内一周線が乗り入れを開始
1路線のみの乗り入れであった豊見城団地であるが、2002年4月1日の豊見城村から豊見城市への市制施行と同時に運行を開始した105番・豊見城市内一周線が豊見城団地への乗り入れを開始した。
なお、団地内での乗り入れルートは46番・糸満西原線と全く同じであったが、早朝の一部便は団地内へ乗り入れない急行便も運行されていた。
再び糸満線に
吸収・統合・分離により誕生した46番・糸満西原線は、2018年10月1日より、約30年ぶりに那覇バスターミナルを境に糸満側と西原側に分割されることとなった。
糸満側は446番・那覇糸満線として分割されたが、豊見城団地経由もそのまま引き続き運行されている。
豊見城小学校前を経由する案は実現せず
2002年4月1日より運行を開始した105番・豊見城市内一周線は、その後ルート変更を幾度か実施しているが、2019年4月1日の変更に際してのルート案の中には、かつて95番・豊見城団地線が経由していた豊見城小学校前を経由するルート案が計画に挙がっていた$${^7}$$。
計画されていたルートを以下に示す。
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OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
「県営豊見城団地」の住民からの要望で、県営団地に近い位置に新たにバス停を設置する計画だったようだが、既存バス停の移設が発生すること、豊見城小学校に通学する児童の利用が想定されないこと等から、従来ルートのままとなり、結果的に実現することは無かった。
【バス事業者へのヒアリングを踏まえた結論】
以下の理由により、暫定ルート(オフピーク)については、生産性向上の点から利用者増につながる可能性が不明のため、暫定ルートのタイミングでは現行の団地ルートのままとする。
①(仮称)団地入口交差点における団地方面への通行については、交通安全上、現状の運行が望ましい。
②県営団地周辺及び豊見城小学校周辺の道路幅員が狭く、小学校付近は高低差もあり、バスの運行ルートとしては交通安全上も現行ルートに劣る。
③県営団地と団地内郵便局のバス停は近接しており、また、豊見城小学校前を通過するルートとした場合でも、小学校への通学については、徒歩通学が基本であり、バス利用の増加は多く見込めないことから、生産性の向上につながらない恐れがあること。
④ルートを変更する場合は、新たなバス停の設置はもとより、ルートによっては、既に整備が行われている団地内郵便局前やゆたか保育園前等の移設等が必要となり、バス停整備に関わる多額の費用が必要となる。
脚注
昭和56年度 業務概況(1982年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.30
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
(広告)新路線及び路線変更のお知らせ(1983年1月6日 沖縄タイムス)
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24
運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)
新しい公共交通システム導入可能性調査 社会実験計画書(2018年3月 豊見城市)p.97