45番・与根線の歴史を調べてみた
沖縄県豊見城市を起終点とするバス路線を開設したのは那覇交通が第一号である(たぶん)。運行開始当初は45番・豊見城線と名乗っていた路線は、現在は45番・与根線として、2024年1月現在も運行されている。
1957年ごろ運行開始
那覇交通創立30周年誌によると、1957年(昭和32年)7月31日に那覇市の那覇バスターミナルを起点とし、豊見城村(現・豊見城市)の渡橋名を終点とする豊見城線が認可されている。
これが、現在の45番・与根線の前身であり、認可時期からすると1957年には運行を開始していたものと想定される。現在とほぼ変わらないルートだとして想定される運行開始当初のルートを以下に示す。
豊見城村を終点とする初のバス路線だったようで、路線名も村名をそのまま採用したのであろう。なお、前述の那覇交通創立30周年誌には「渡橋名線」という呼び方が1度だけ出てくるが、社内的にはそのような呼び方もされていたのかもしれない。
ちなみに、那覇交通創立30周年誌には、1958年10月21日に開南経由に変更されたとの記述がある。となると、1957年の運行開始当初は開南経由ではなかったことになるが、現在でいう壺川経由のルートだったのだろうか。
終点が渡橋名から与根に延長
運行を開始した1957年頃は、豊見城村の渡橋名より西側にある与根地区は田畑ばかりの地区だったようだが、次第に宅地化されたためか、1977年(昭和52年)6月1日に終点が渡橋名から与根まで延伸された。
延長後の運行ルートを以下に示す。
なお1977年12月当時の航空写真をみると、後の延伸先である与根から北側は、まだ田畑ばかりのため需要としては、与根までだったのであろう。
起点が那覇バスターミナルから三重城営業所に延長
45番・豊見城線は、那覇市外線であったためか、起点は他の市外線と同様に那覇バスターミナルであったが、1986年8月25日に那覇市内線の拠点である三重城営業所発着へと変更となった。
実質的に路線延長されたことになる。延長後の運行ルートを以下に示す。
なおこの時点で、路線名は「豊見城線」から「与根線」に変更されているようである。1983年2月1日時点$${^1}$$では、既に与根発着だったものの、まだ「豊見城線」であったことから、1983年2月$${^1}$$~1986年8月$${^2}$$のどこかのタイミングで「与根線」に変更となったようだ。
終点が与根から具志営業所に延長
1993年3月1日からは終点が与根から具志営業所に延長された。
この延長と同時に、起点は三重城営業所から具志営業所に、終点は与根から三重城営業所となり、起終点が入れ替わることとなったようである$${^3}$$。延長後の運行ルートを以下に示す。
1993年9月当時の航空写真を見ると、新設された豊見城カントリー前あたりに小さいながらも住宅街ができており、需要があると判断されたのであろうか。また、ほぼ同時期に与根からも比較的近い、那覇市小禄に具志営業所が設置されたことから、路上折返しから営業所折返しに変更する目的もあったのかもしれない。
この当時の与根から具志営業所へのルートは、与根から北上し、最短で具志営業所を結ぶルートのみであった。詳細は後述するが、このルートは2006年をもって廃止されたものの、2021年に復活している。
与儀タンク跡経由が新設
詳細な時期は不明であるが、少なくとも1993年11月$${^4}$$~1998年6月$${^5}$$の間は、現在も運行されている古波蔵経由の「本線」のほかに、米軍与儀タンクファーム(那覇第2貯油施設)跡地を経由する「与儀タンク跡地経由」が存在した。運行ルートを以下に示す。
「与儀タンク跡地経由」は、与根線以外にも、沖縄バスの113番・南風原線にて運行されていた(南風原線は、与儀タンク跡地経由を本線として運行)。
113番・南風原線の運行開始は1992年5月6日のことであるが、競合を考えると、与根線も同時期に乗り入れを開始した可能性がある。なお、南風原線は1998年1月に廃止されたが、与根線の「与儀タンク跡地経由」は、その後も運行されたようである。廃止時期は不明であるが、少なくとも2001年3月当時$${^6}$$には運行されていない。
この「与儀タンク跡地経由」の写真が以下のサイトの最後から4番目に掲載されているので、ご紹介しておく。
なお1枚最初の写真は与根線の本線であるが、「与儀タンク跡地経由」との区別のため「古波蔵経由」のプレートを掲げられている。
豊見城高校経由が新設
こちらも詳細な時期は不明であるが、1998年7月$${^5}$$~2001年3月$${^6}$$の間に、県道11号線バイパス(爬龍橋)、那覇東バイパスを経由する「豊見城高校経由」が新設されている。運行ルートを以下に示す。
この豊見城高校前を経由するバス路線は、45番・与根線が第1号であったが、2002年4月1日からは、琉球バスの105番・豊見城市内一周線が乗り入れを開始しており、2024年1月現在では、那覇バスの6番・那覇おもろまち線も豊見城高校前経由として乗り入れている。
赤字路線として廃止対象路線に指定
運行開始当初から、起終点が延長され、経由地が異なる系統が新設されたりと細かな改変が続いた与根線であるが、運行ルートである真玉橋から豊見城市役所前の区間である県道11号線の渋滞により、バス離れが発生しており、1981年(昭和56年)以降は赤字が続いていたようである。
2003年4月には、廃止候補対象路線として名指しされている。
昼間の時間が運休
廃止路線候補となった与根線であるが、2004年4月時点で「継続協議」となり一旦は廃止を免れている。
その3か月後である2004年7月18日には、那覇交通から那覇バスへの営業権の移管が実施されたが、与根線も廃止になることなく引き継がれた。ただし、運行本数は1日35本から1日18本へと半減された上に、日中の時間帯は運行されない路線となった。
ルート変更とダイヤ改正
2006年9月25日には、終点である三重城営業所が廃止となり、営業所跡地前に新設された三重城バス停が終点となった。この変更と同時に、起点側でも運行ルートの変更が行われ、豊見城カントリー前経由からメイクマン豊見城店前経由に変更された。
小禄バイパスの開通に伴い沿線への商業施設の立地が進んだことから、ゴルフ場(豊見城カントリークラブ)よりも商業施設(メイクマン豊見城店)の方が、需要があるという判断かもしれない。
またこのルート変更と合わせてダイヤ改正も実施され、日中の運行も復活している。
友愛医療センター経由が新設
2021年3月22日のダイヤ改正により、本線であるメイクマン豊見城店経由とは別に、友愛医療センター経由が新設された。
友愛医療センターは、かつての豊見城カントリークラブ跡地に開業した病院であり、2006年以前のルートが復活することとなった。なお、2024年1月現在は、運行本数のうち約2/3が友愛医療センター経由となっている。
脚注
(広告)銀バス新路線登場!!(1983年2月1日 沖縄タイムス)
銀バス 那覇市内の路線再編/寄宮線廃止 識名線新設(1986年8月12日 沖縄タイムス)
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25
運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)
運賃及び粁程表 平成10年6月1日改定(1998年6月 沖縄県バス協会発行)
バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)
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