75番・宜野湾市内線の歴史を調べてみた
かつて沖縄県宜野湾市の市内を一周する「宜野湾市内線」という路線が運行されていた。
系統便号は75番が付与されており、琉球バスによって約16年間運行された。
運行開始は1980年12月
宜野湾市内線の運行開始は、1980年12月3日のことである。
宜野湾市普天間に新設された普天間駐車場を起点とし、市内を一周して普間に戻ってくる循環路線であった。
時計回りと反時計回りの2ルートが運行され、それぞれ1日13本ずつの運行であった。
当時のルートは以下の通りである。
普天間駐車場は、現在のサンエー普天間店の駐車場となっている場所に設置された。
普天間駐車場が存在した1984年10月当時の航空写真を以下に示す。バスが2台ほど停車しているのが確認できる。
市役所移転により運行を開始
運行開始の理由としては、宜野湾市の市報に以下のように書かれている。
「市役所移転」「大学生の利便性向上」の2つが挙げられているが、大きい理由は前者のようである。
宜野湾市役所は、1979年12月に普天間から野嵩へと移転しているが、移転前の時点でかなりの反対意見があったようである。その理由の1つに、普天間から野嵩に移転することにより、国道58号からは路線バスで直通で行けなくなることから、不便になるというものがあった。
市議会としてはこの反対を抑えるために、国道58号から市役所移転先である野嵩地区へ向かう路線バスとして「市内一周バス」の運行を確約することにしたようである。
なお1日13本で運行を開始していたが、後に1本増便され1日14本の運行となったようである。
利用者減少によりマイクロバスが利用されたことも
当初は他の路線同様に大型バスで運行されていた宜野湾市内線であるが、1986年からの一時期は、通常の大型バスからマイクロバスに変更されている。下記の通り、利用者減少が主な要因である。
宜野湾市の要望により運行を開始した路線であったが、当初の目的が市役所移転反対派への対応だったためか、年々利用者は減少傾向であったようである。もう1つの運行目的であった琉球大学、沖縄国際大学への通学利用者についての記述がないことから、実際にも利用者はほぼいなかったようである。なお、少なくとも愛知地区から嘉数中学校への通学には使われていたようであるが、1986年4月の宜野湾中学校の開校に伴い、バス通学が不要となったことから、運行の必要性はだいぶ下がったようである。
宜野湾連絡所発着に変更
運行開始当初は普天間駐車場を起終点とする循環路線であったが、1990年4月$${^1}$$~1993年3月$${^2}$$の間に、宜野湾市真志喜に新設された宜野湾連絡所発着に変更されたようである。この宜野湾連絡所は、後の宜野湾出張所で、現在の琉球バス交通宜野湾営業所である。
宜野湾連絡所発着へ変更されたのちのルートを以下に示す。
宜野湾連絡所が設置された直後の1993年8月当時の航空写真を以下に示す。なお、この当時の宜野湾連絡所は、宜野湾市内線の1路線のみの管轄だったせいか、航空写真上ではバスが停車している様子は見られない。
また、現在は路線バスが通っていない宜野湾市営球場前~第一大山の間を通るルートとなっており、途中には安座間原と真志喜入口の2つのバス停が設置されていた。
起点変更後も運行本数は変わらず14本/日が確保されたようである。
廃止は運行開始から16年後の1996年頃
利用者減少に伴い存続が危ぶまれていた宜野湾市内線であるが、1996年3月末時点のバス路線一覧$${^3}$$には記載があり、翌1997年3月末時点のバス路線一覧$${^4}$$には記載がないことから、1996年4月~1997年3月の間に廃止されたと想定される。
なお、1996年3月末時点のバス路線一覧には、75番・宜野湾市内線の記載がある代わりに、現在も運行されている88番・宜野湾線の記載がない。一方で、宜野湾市内線の記載が無くなった翌1997年3月末時点のバス路線一覧には、88番・宜野湾線の記載があることから、75番・宜野湾市内線が廃止される代替として、88番・宜野湾線の運行が開始されたようである。88番・宜野湾線の運行により、真志喜地区から野嵩地区へのバスルートは引き続き確保された。
脚注
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.27
平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24
平成9年度 業務概況(1997年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24