81番・源河線の歴史を調べてみた
沖縄本島のバス路線に付与されている系統番号にはある程度の規則性があり、1970年代に付与された当初は、65番~81番が北部支線、82番~88番が南部支線となっていた。この当時の北部支線で最大の系統番号であった81番のバス路線が今回紹介する「源河線」である。
なお、1990年代以降の北部支線の相次ぐ廃止により、2024年5月現在、北部支線の最大の系統番号は78番・名護東部線となっており、以降の番号である79番は欠番、80番は那覇と屋慶名を結ぶ与那城線、81番は南部支線の「西崎・向陽高校線」に充てられている。
辺土名線・川田線を源河折返しにした路線
81番・源河線は、名護市の名護バスターミナルを起点とし、国道58号を北上して、名護市最北端の地区である源河を終点とするバス路線であった。運行ルート的には、67番・辺土名線や73番・川田線(2018年9月30日廃止)を名護市源河地区折返しとした路線である。
69番・奥線を途中の辺戸折返しにした68番・辺戸線や、78番・辺野古~平良線を天仁屋折返しにした79番・天仁屋線のように、途中までルートが同じ路線同士の系統番号は比較的近い番号が充てられる傾向にあるが、なぜか源河線の系統番号としては、辺土名線の「67番」、川田線の「73番」とは連続していない「81番」が充てられていた。後述するが、系統番号が付与された直後である1975年時点$${^1}$$で1日1本のみの運行であり、系統番号を付与する時点で早々に廃止が想定されていたのだろうか。
沖縄バス創業時からの路線?
沖縄バス創立30周年誌によると、運行開始日の記載は見あたらなかったが、1951年3月末時点のバス路線一覧には記載がある$${^2}$$。沖縄バスの創立は1950年4月1日のことであるので、創業時から運行されていた路線かもしれない。
廃止直前の運行本数は1日1本のみ
廃止直前である1993年3月末時点$${^3}$$で、運行本数は1日1本(1往復)のみであった。運行ダイヤは、名護バスターミナル発が21時、源河発が21時30分であり、名護バスターミナルを出発したバスが源河に到着後、源河から名護バスターミナル行きとして折り返す運用であった。
夜間のみの運行という独特なダイヤであったが、途中まで経路が同じ67番・辺土名線と73番・川田線の名護バスターミナル発の最終は19時55分(67番・辺土名線)と17時5分(73番・川田線)であったことから、20時以降の名護市中心部から源河地区への移動需要を補うためだったのであろう。なお、いずれも1993年3月末時点$${^3}$$の時刻である。
一時期は琉球バスも運行?
廃止直前は沖縄バスのみの運行であったが、1960年代には琉球バスも運行していたようである。
少なくとも1964年12月末時点のバス路線一覧$${^4}$$や1965年12月末時点のバス路線一覧$${^5}$$では、琉球バスのバス路線一覧に源河線の記載があったり、源河線の運行会社に琉球バスの名が記載されていたりする。ただし、この当時の運行ダイヤ$${^5}$$は、廃止直前の運用のように、行った便が折り返してくるというダイヤではなく、さらに独特であった。
朝の5時20分に源河発・名護バスターミナル行きが沖縄バスによって運行され、上り便はこの1本のみで夜間は無し、一方の名護バスターミナル発・源河行きの下り便は、夜の20時40分発が琉球バス、21時20分発が沖縄バス、22時発が琉球バスと言う形で、40分間隔で2社により3本が運行されていた。
いずれも67番・辺土名線や73番・川田線が走っていない時間帯を補う点では廃止直前と変わらないが、早朝の上り便があったり、下り便が40分間隔と充実していたという点で異なっていた。なお、源河地区にバス営業所があったという記録は見つけきれていないため、早朝は名護バスターミナルから源河に回送で送り込まれ、夜間は源河から名護バスターミナルに回送で戻って来るという運用だったのであろう。
この2社による運行がいつ終了したのかも分からないが、少なくとも1975年時点の運行会社は沖縄バスのみで、廃止直前と同様に夜間のみの運行となっている。
北部共同運行化時に廃止
名護市以北を走る北部支線は、1993年12月28日より琉球バスと沖縄バスの2社共同運行へと変更となった(久志バスターミナルを発着していた79番・天仁屋線と80番・嘉陽線を除く)。
この共同運行開始の前日である1993年12月27日をもって81番・源河線は廃止された。代替として、67番・辺土名線の最終便が繰り上がることもなかったことから、源河地区までの夜間の需要もかなり少なくなっていたのかもしれない。
運行最終日の81番・源河線の写真を載せておく。
なお、冒頭に「(81番・源河線は北部支線の中でも)早々に廃止が想定されていたのだろうか。」と書いたが、結果的に75番・呉我山線や68番・辺戸線の方が、同じ北部支線の中でも、早々に廃止された。
脚注
バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表(1975年7月 沖縄観光速報発行)p.35
沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.41
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.28
行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.75
旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.46、p.152-154
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