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那覇バスターミナルの歴史(後編)

前編はこちらから。

3代目は730により誕生

3代目バスターミナルは、2代目とは敷地自体は変わらなかったが、ターミナルビルの建て替えだけではなく、構造自体が大きく変更された。その要因は、右側通行から左側通行への交通方式変更、いわゆる730によるものである。
「バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌(1980年2月 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会)」によると、工事期間が1978年7月16日~1979年10月31日ということは記載があるのだが、供用開始日に関する記述が確認できない。
3代目バスターミナルの建設に際しては、別の場所に発着地を設置することなく工事を実施したことから、明確にこの日時に完成というのが無いのかもしれない。

【沖縄バス/アーカイブスVOL.337】 ~建設中☆~ こちらは1978年(昭和53年)に撮影された旧那覇バスターミナルの建設工事☆現在のターミナル建設時はバスを仮駐機場へ移動させて工事が進められましたが、この当時はバスを運行させながら平行して建設工事が進められていたんだそうです~ #沖縄バス #おきバスアーカイブス

Posted by 沖縄バス株式会社 on Tuesday, December 10, 2019

7.30交通方法変更記念誌には、2代目バスターミナルからの変更内容が詳細に記述されている。

ア、ターミナル出入口の変更
 旭町ロータリー側の出口を廃止してバス入口と進入歩道に変更する。また、西側の入口を拡幅して琉球新報社側からの出入口とする。その他に旭橋寄りの部分に国道329号への出口を新設する。
イ、バースの形状を鋸型から平行型とし、構内におけるバス操車の安全とスムーズな運行を図る。
ウ、構内におけるバスと利用客との平面交叉を避けるため高架歩道橋を設置する。
エ、混雑する周辺道路への負担増加とならぬようターミナル外周の操車路を敷地内に取り込むことにする。
オ、そのため国道329号線に接するターミナルビル、那覇市道に接する従業員食堂およびタイヤショップ等の施設を撤去し代替施設として新ターミナルビルの建設を行なう。
カ、また、縮少する構内駐機場のスペース手当てとして第2駐機場を取得し、洗車場、給油所およびタイヤショップ等も併せて移設する。
キ、なお、利用客へのサービス改善と強化のため、乗降別プラットホームの設置、行先別乗車場の設置および自動化されたバス発車時刻表示機器の取り付け等を行なう。

バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌(1980年2月 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会)p.72

上記の引用を元に、2代目である1977年12月および3代目である2010年9月当時の航空写真上に変更内容を明記してみた。

2代目那覇バスターミナル 1977/12/13撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C58-6】を筆者が加工)
3代目那覇バスターミナル 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C12-8】を筆者が加工)

3代目の建て替えと同時に第2駐機場が設置

前述の引用には「第2駐機場」という記述がある。

また、縮少する構内駐機場のスペース手当てとして第2駐機場を取得し、洗車場、給油所およびタイヤショップ等も併せて移設する。

バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌(1980年2月 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会)p.72

操車路の敷地内への取り込み等により、バス駐機場に使用できる敷地が減ってしまったことから、壺川の国場ベニヤ工場の跡地を買収し、第2駐機場が設置されたようである$${^1}$$。具体的な場所は東陽バスの3代目本社の北隣、現在の那覇中央郵便局の位置である。1990年10月当時の航空写真でも確認ができる。

3代目那覇バスターミナルと第2駐機場 1990/10/20撮影
(国土地理院の空中写真【OK901X-C26-5】を筆者が加工)

駐機場のほか、2代目バスターミナル当時は構内にあった、洗車、給油施設や、タイヤショップ(タイヤ交換所?)も第2駐機場に移設したようである。そのため、簡易的な整備工場としての意味合いが強かったのかもしれない。
ただ、1993年12月当時の航空写真では確認ができないことから、1990年10月~1993年12月の間に廃止されたようである。車両の性能向上等により整備工場を別に設けることが不要とされたのかもしれない。

3代目那覇バスターミナルと第2駐機場(廃止後) 1993/12/06撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C50-9】を筆者が加工)

再開発から取り残された3代目バスターミナル

3代目バスターミナルは大きな改良工事をすることなく、21世紀まで使用され続けた。完成当時は最新式であったバス発車時刻表示機器は大規模に更新されることなく使用され続けた。そのため、末期は故障が多かったようで機能していないホームも多々見られた。バス乗り場案内も、路線の改廃に対応するために、印刷した紙を貼って対応するなど、継ぎ接ぎだらけとなっていた。

バス発車時刻表示機器はデジタル化されることは無く、末期は故障中のまま放置されていた
(2013年10月 那覇バスターミナルにて撮影)
乗り場案内図は、路線の改廃に対応するために印刷した紙で継ぎ接ぎだらけであった
(2013年10月 那覇バスターミナルにて撮影)

那覇バスターミナルを含む「那覇旭橋駅東地域」は、2003年7月18日に都市再生緊急整備地域に指定され、その2か月後の9月1日には再開発会社である旭橋都市再開発株式会社が設立された。「モノレール旭橋駅周辺地区第一種再開発事業」として、当初は指定区域を一括して行う予定だった再開発計画は、バスターミナルを除く南工区(B~E街区)が先行して進められ、2012年3月にすべてが完了した。
残るバスターミナルがある北工区(A街区)は、那覇バスターミナル株式会社の株主であるバス事業者の経営悪化や倒産などにより、なかなか進まなかった。2007年4月に東京に本社を置く不動産開発会社の株式会社ゼクスが、那覇バスターミナル株式会社を子会社としたことで若干進展があり、2008年1月頃に、2012年完成を目指した再開発計画案が立案された。ただこの案は、駐機場スペースが50台から8台に大幅に縮小される案であったためバス会社の反対にあったようで、没案となったようである。

2008年1月に出された計画では、現在50台程度あるバス駐機場(待機場)が8台に減るほか、パース(のりば)も15から14に減る見込みである。駐機場の減少に関して、沖縄県交通政策課は同県が計画している「基幹バスシステム」導入により現在の規模の駐機場スペースは必要ないとしている。しかし、一部会社では割り当てられている駐機場は満杯状態であり2006年2月に一部路線の起点をバスターミナルから豊見城へ変更している。また、「基幹バスシステム」には那覇市内線、及び南部(糸満)方面への路線は関与しない為、それらの路線に対する駐機場が不足するほか、別場所に設ける駐機場への回送による周辺道路の渋滞を引き起こしてしまうなどの問題も多くあり、バス会社は県などに再考を求めている。なお、計画では2012年度の完成を目指していた(後述)。

「那覇バスターミナル」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

その後、那覇バスターミナル株式会社の株式は、ゼクスと同じく東京に本社を置く不動産開発会社の株式会社リッシに売却され、2008年7月30日からは同社の子会社となった。
このまま進捗は見られなかったが、2012年1月11日に、琉球バス交通と那覇バスの親会社であり、南工区の再開発にも参画していた第一交通産業が那覇バスターミナル株式会社を子会社化したことがきっかけで、2014年3月には事業計画が認可され、遅れていた計画がようやく進むことになった。ゼクス時代に懸案となった駐機場不足問題は、地下に駐機場スペースを確保することで解決したようである。
4代目の建設に向けて、2015年4月5日をもって3代目バスターミナルは閉鎖された。

4代目バスターミナルは高層ビル化

3代目の建設は、バスターミナル機能を保持したまま実施されたが、4代目の建設は完全に敷地を閉鎖した上で、駐機場を別場所に確保し、バス乗り場は既存バス停を活用する形で、各地に点在することになった。
またこの間の駐機場は、那覇市通堂町にあった「那覇ふ頭明治橋駐車場」と隣接した空き地部分に設けられた。

バスターミナル工事中のバス乗り場(オレンジ色)と駐機場の位置関係 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C12-8】を筆者が加工)

4代目バスターミナルは、閉鎖から3年の時を経た2018年10月1日から運用を開始した。これまでのターミナルとは異なり、地上11階・地下1階建ての高層複合ビルが建設され、1階部分がバスターミナル、地下1階部分が駐機場となった。

ハード面では立派な建物が完成したが、やはりソフト面での対応は後手後手だったようで、当初は案内板の表記ミスなども多々発生していた。

3代目の末期は故障していたバス発車時刻表示機器も、4代目では液晶タイプとなり、バスロケ情報も見れる最新式に更新された。これもいずれは陳腐化してしまうが、その際はちゃんと更新されるだろうか・・。
また、液晶ディスプレイの上に記載されている数字は、この乗り場に停車する系統番号であるが、路線の改廃に応じて修正され続けるのだろうか・・。

最新式となったバス発車時刻表示機器
(2019年8月 那覇バスターミナルにて撮影)

脚注

  1. バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌(1980年2月 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会)p.73

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