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うるま市大田地区を経由するバス路線があった

うるま市大田とは、沖縄県うるま市に存在する字名である。地図で示すと以下のエリアである。

地区の中心を沖縄県道10号伊計平良川線が通過しているが、この道路には路線バスが通っておらず、それがゆえに公共交通空白地帯となっている。そんな大田地区であるが、かつて約14年間ほど、路線バスが走っていた時期があった。

公共交通空白地帯となっている大田地区
(出典)うるま市公共交通システム導入調査業務 報告書(概要版)

大田地区初の路線バスは80番・屋慶名線

うるま市大田地区に路線バスが走るようになったのは、80番・屋慶名線の運行開始によるものである。この路線は、沖縄バス60周年記念誌によると、1995年5月に運行を開始したようである。

1995年5月 屋慶名線「80」運行開始

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.43

当時運行されていた27番・屋慶名線が「那覇⇔大謝名⇔我如古⇔普天間⇔屋慶名」と、宜野湾市内で国道330号を通るルートだったのに対し、80番・屋慶名線は「那覇⇔大謝名⇔伊佐⇔普天間⇔屋慶名」と、「那覇⇔コザ」のメインルートであり、現在でも23番・具志川線など多数の路線が運行する、国道58号と県道81号線を経由するルートであった。

1995年当時の27番・屋慶名線と80番・屋慶名線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

80番・屋慶名線は2社による競合運行

80番・屋慶名線は、1996年3月末時点のバス路線一覧$${^1}$$によると、琉球バス(当時)と沖縄バスの2社による運行であったが、この当時は、同じ系統番号、路線名、経路であっても、111番・高速バスと北部支線以外での共同運行は未実施であった。80番・屋慶名線もご多分に漏れず、それぞれが独自にダイヤを設定し、同じ系統番号【80番】、同じ路線名【屋慶名線】、同じ経路【那覇~伊佐~コザ~大田~屋慶名】の競合路線として運行されていた。

琉球バスと沖縄バスが運行していた80番・屋慶名線の概要
平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24を元に筆者が作成

完全競合状態は1998年には解消

1997年3月末時点のバス路線一覧$${^2}$$の80番・屋慶名線の運行会社としては、琉球バスと沖縄バスの2社が記載されているが、翌1998年3月末時点のバス路線一覧$${^3}$$の80番・屋慶名線の運行会社としては、沖縄バスのみの記載となっている。よって、1995年5月の運行開始から、3年経たずの1998年3月までに、琉球バスは80番・屋慶名(大田)線から撤退したようである。

沖縄バスのみとなった80番・屋慶名線
平成10年度 業務概況(1998年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24を元に筆者が作成

琉球バスは27番・屋慶名線に大田経由を新設

80番・屋慶名線から撤退した琉球バスであるが、大田地区から撤退したわけでは無く、既存の27番・屋慶名線に大田経由を新設している。なお、27番・屋慶名線は、琉球バスと沖縄バスの2社による運行路線であったが、2016年3月27日をもって琉球バス交通が撤退するまで、同じ系統番号、路線名、経路にもかかわらず、最後まで共同運行化されなかった路線である。そのため、28番・読谷線において、沖縄バスのみがコンベンションセンター経由を新設するような形で、27番・屋慶名線の大田経由も、琉球バスのみが新設する形となった。

運行ルートは、27番・屋慶名線を踏襲しており、宜野湾市内でも国道330号線経由となった。

1998年当時の27番・屋慶名線と80番・屋慶名線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2001年3月時点$${^4}$$で、沖縄バスの80番・屋慶名線は1日12本運行、琉球バスの27番・屋慶名線の大田経由は1日6本運行であり、大田地区だけでみると1日18本と1時間に1本程度が確保された。

2001年当時の27番・屋慶名線(大田経由)と80番・屋慶名線
バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)p.170~171を元に筆者が作成

ちなみに、前述の通り、27番・屋慶名線は、最後まで共同運行されることが無かったが、伊佐経由の路線で大田地区をカバーしたかった沖縄バスと、大謝名・真栄原経由の路線で大田地区をカバーしたかった琉球バスとで、両社の意見が一致しなかったのかもしれない。

沖縄都市モノレール開通と同時に大田経由は沖縄バスのみに

2社の大田経由の屋慶名線は、2003年8月10日の沖縄都市モノレール開通による路線再編により、両方ともが廃止となった。ただ沖縄バスについては、首里駅、高速道路経由の180番・屋慶名(首里駅・国場)線に引き継がれることとなり、琉球バスのみが大田地区から撤退することになった。

沖縄総合事務局は17日、琉球バス(長浜弘真社長)と沖縄バス(中山良邦社長)の二社に対し、沖縄都市モノレール開業に伴う路線再編の認可書を交付した。
 (中略)
那覇バスターミナルから首里駅、沖縄自動車道を経由して与那城町屋慶名に至る180番屋慶名線(高速バス)と合わせ、計9路線を新設する。
廃止するのは、共同運行の32番糸満線と80番屋慶名線の2路線。そのほか路線で、終点や経由地を一部変更する。

琉球・沖縄バス再編、国が認可/13路線、当初予定の半分以下(2003年7月18日 沖縄タイムス)
(注釈)80番・屋慶名線が共同運行となっているが、27番・屋慶名線(大田経由)と80番・屋慶名線(大田経由)のことである。

運行ルートは、コザ以北は80番・屋慶名線のルートを概ね引き継ぎ(屋慶名地区だけ少し異なる)、コザ以南は高速道路と首里駅を経由するルートとなった。

2003年当時の180番・屋慶名(首里駅・国場)線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

最終的に大田を経由しない路線に

新しく誕生した180番・屋慶名(首里駅・国場)線の利用状況は芳しくなかったようで、運行開始から4年後の2007年時点で廃止予定路線にあげられている。

県、国、バス会社、関係市町村でつくる県生活交通確保協議会(議長・上原良幸県企画部長)が27日午後、県庁で開かれ、那覇バスが平和台・安謝線(系統番号101番、運行距離16.8キロ)、沖縄バスは首里・屋慶名線(同180番、43.6キロ)を2007年度に廃止する方針を示した。
 (中略)
屋慶名と那覇のバスターミナルが起・終点で、コザ、沖縄南インターチェンジ(IC)から那覇IC、首里駅を経由する屋慶名線は、ダイヤ編成を実施したが収支改善が見込めず廃止する方針。

バス2路線を廃止/平和台安謝線・首里屋慶名線(2007年4月28日 琉球新報)

その後、那覇市内のみの運行に短縮した18番・首里駅線の新設にともなう180番・屋慶名(首里駅・国場)線の減便(2007年9月20日実施)や、那覇バスターミナル起点から、おもろまち駅前広場起点である280番・屋慶名(首里駅・国場)線への路線変更(2008年7月12日実施)などのテコ入れがされたが、結局は2009年9月26日をもって廃止され、大田地区からは撤退することとなった。代替路線として運行を開始した、大田地区を経由しない127番・屋慶名(高速)線は現在も運行されていることから、大田地区自体の路線バスの需要が小さかったのかもしれない。

2023年現在の18番・首里駅線、127番・屋慶名(高速)線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

大田地区への路線バスの乗り入れは、1995年から2009年までの約14年間のみであり、2023年6月現在も大田地区は路線バスが走らない公共交通空白地域となっている。

脚注

  1. 平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

  2. 平成9年度 業務概況(1997年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

  3. 平成10年度 業務概況(1998年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

  4. バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)p.170~171


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