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No.1069 笛吹けども…

『平家物語』を読む時に知っておきたい事が三つあるといいます。
「和歌」「弓」「笛」だというのですが、一面の真理かも知れません。

『平家物語』巻九「敦盛最期」には、源氏方に与した熊谷次郎直実が、平家方の「大将軍」がただ一騎、海に乗り入れ逃れようとするのを見つけ、大声で呼びかけます。
「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなう(=卑怯に)も敵に後ろを見せさせ給ふものかな。かへさせ給へ」
と扇を掲げて招き寄せ、組み伏せました。見れば、わが子の小次郎と同じ程の年齢の美しい若者で、どこに刀を突き立てて良いかも分かりません。
 
しかし、源氏の仲間の軍勢が迫っており、この若者は逃げおおせられまいと思うと、熊谷次郎直実は、どうせなら自分が手をかけて菩提を弔ってやろうと考え、ついに首をはねました。その若公達の名は、平敦盛。その腰には、祖父の忠盛が鳥羽院から拝領したと言われる「小枝」(さえだ)の笛が…。

直実は、
 「あないとほし(=いたわしい)、この暁城の内にて、管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国より上つたる勢何万騎かあるらめども、戦の陣へ笛持つ人はよもあらじ、上﨟は、なほもやさしかりけり」
「身分の高い公達(平家)は、やはり風雅だな。」と感じ入ったのでした。
 
身分の低い百姓のせがれの私ですが、50歳を機に文化教室で篠笛を習い始めました。「青葉の笛」(1906年、作詞:大和田建樹、作曲:田村虎蔵)を吹けるようになりたかったからです。しかし、思った以上に難しく、上達の二文字は私に無縁のようでした。私は、先生が手を焼くのに十分過ぎる素質を持っていたみたいです。
 
現在、あの青葉の笛(小枝)は、神戸市須磨区にある須磨寺が所蔵しています。敦盛亡き後、主なき笛は834年もの間、見る人の心にのみ、その豊かな調べを奏でてきました。
 
もう十年近くも前のことになりますが、篠笛の音を追い求め、我が家で個人レッスンに励みました。♪春を愛する人は~心清き人~
「明るい曲でも暗いリズムになるのね。」
とカミさんが褒めてくれました。なしか?
 
お披露目は、当分先のことになりそうです。


※画像は、クリエイター・こおろぎ(裏)さんの、「七本調子の篠笛です。プラスチック製。」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。