見出し画像

No.648 昔も今もfriendship?

古代ギリシャの哲学者カルネアデス(紀元前214年~紀元前129年)が
「舟が難破し、全員が海に投げ出された。流れてきた舟板に、二人が無理にしがみつくと板は沈んでしまう。この場合、一人の人間を押しのけて溺死させ自分を救うのは正しいか。」
という問題を提起したそうです。「カルネアデスの板」とか「カルネアデスの舟板」と呼ばれる倫理学的、道徳的な課題です。
 
この状況で己の生命を守る為に相手を殺しても法律上罪に問われる事はないといいます。日本の「刑法」では、第37条「緊急避難」に該当するのだとか。一方で、自分の命の維持のために他人の命を犠牲にすることが許されるかという「緊急避難」の限界を示しているとも言われています。
 
 大学教授玖村武二は、戦時中に国家的歴史論を講じた為に大学から追放された恩師の大鶴恵之輔を本人からの懇願により学長に取り入って復学させました。ところが、大鶴は旧態依然とせず、進歩論者に転向してしまいます。そればかりか、玖村の身を脅かす存在にまでなって行きました。そこで、玖村は大鶴を陥れようと画策したのですが、一転、身の破滅を招いてしまう羽目になります。松本清張(1909年~1992年)の小説『カルネアデスの舟板』(1957年)は、何とも虚しいお話です。
 
アメリカのアンブローズ・ビアス(1842年~?)が著した『悪魔の辞典』(1911年)には、単語の意味を痛烈な皮肉やブラックユーモアでつづってあります。その中の「フレンドシップ」(friendship)の項には、
「天気の良い時には、二人乗せることが出来るが、天気の悪い時には、一人しか乗せることができないくらいの、そんな程度の船。」
とありました。「friendship」(友情)とはいえ、一朝ことある時の人間同士の心理を見事に言い当てた鋭い文章に、苦笑するしかありませんが、不条理な現代社会の絡み合いを言い当てているようにも思えるのです。
 
小説「カルネアデスの舟板」は、ビアスのいう「friendship」のようなものだったのでしょうか。
 
※画像は、クリエイター・How's it going?つながるイラストさんのタイトル「挿絵(みんなのフォトギャラリー)」をかたじけなくしました。お礼申します。
 
【台風見舞いのお礼】
 台風14号の大分の台風被害をご心配いただき、わざわざ心あるコメントをくださったnote mateにお礼を申し上げます。お返事を差し上げるすべを知らず、不義理の段、ご寛容たまわりますよう。