No.817 夫婦が掛け違えた心のボタン
某クラスの棚に「ミラーBOX」が置かれてありました。美術の時間に仕上げたものだとかで、生徒分の作品が並んでいます。画像はその中の一つ花壇のトンネルですが、二つの鏡の反射により無限に続く不思議な廊下(トンネル?)の空間世界を演出でき、創作意欲をかきたてる楽しい学校教材です。
「タイムトンネルを駆けてゆく悪魔」なんてタイトルの作品はないかな?
そう思いながら捜してみましたが、それらしいものはありませんでした。というのも、星新一のショートショート『ボッコちゃん』(新潮社)収録の一篇『鏡』が、まさにそんなシチュエーションであったのを思い出したからです。
「きょうは十三日の金曜日だな」
というセリフから始まります。
高層マンションの一室に住む商事会社課長の夫と、声優の妻がいました。でも、二人の仲は悪く、いがみ合ってばかりいました。夫は仕事のうっ憤もあり、妻の帰りが仕事の都合で明日になると聞いた13日の金曜日を待って、学生の頃、スペインのペンフレンドから受け取った手紙をもとに悪魔を捕まえようと挑みました。もう興味津々です。
磁石と二つの平行にした鏡と聖書を準備して、13日の金曜日の夜12時が来るのを待ちました。ちょうど長針と短針が12時のところで重なり合ったとき、ピョンと小さな悪魔が鏡の間を飛び抜けようとしました。その瞬間に彼が聖書をパッと閉じると、な・な・何ということでしょう、悪魔の尻尾をはさんでいたのです。
ところが、長い矢印の尻尾をした悪魔然とした彼なのに、何とも弱々しく、哀れげで、もの寂しい様子です。夫は、怖さ恐ろしさを微塵も感じさせないその悪魔をいじめて、頭を小突いたり、壁に投げ飛ばしたりして、仕事の憂さ晴らしをするようになりました。妻もイライラを悪魔にぶつけて解消します。どんな手ひどいことをしても、翌日にはケロッとしている悪魔です。なんて便利でお金のかからないストレス解消法でしょう。
二人は、悪魔に逃げられないようにジャムを入れていた蓋の広い壺に閉じ込めました。そして、帰宅して仕事での不満をすべて悪魔にぶつけ、自制心の利かない虐待と快感を楽しんでは、落ち着きを取り戻します。いつしか、いがみ合っていた夫婦は、一蓮托生?仲の良い夫婦に戻っていました。
ところが、髪にブラシを当てていた妻の不注意で手鏡で後ろにかざした瞬間、鏡が向き合って、悪魔はスルリと鏡の中に飛び込んで逃げてしまいました。さあ、大変です。二人の仲は?二人のその後は?それは、ご自身で確かめてください。
この弱っちくて無抵抗な悪魔は、心にストレスを抱え荒んだ夫婦の心を晴らしてくれる天使のような存在でした。いつしか依存症となった夫婦は、この天使の喪失によって、大きな惨劇を待ち受けることになります。二人は、思いっきり心のボタンを掛け違えていたように思うのです。
どんなにつらくて厳しい状況下でも「借り物」に頼るのではなく、人間の理性や愛を失わずに、互いが思い遣り支え合い助け合うことがどれほど尊くて賢い方法なのか、星新一は冷徹に見つめます。悲劇的な展開は、思いっきりブラックなショートショートです。
ちょっと暦を見たら、2023年の「13日の金曜日」は1月と10月だけでした。残るは10月かぁ!本棚にある聖書にチラリと目が行きました。