No.1286 樁事? 椿事?
「珍事」以上の「椿事」の話を同僚から聞いたのは20年前のことです。
「ある男が、給料袋から数万円を抜き出し、代わりにカラーコピーしたニセ札を入れて奥さんに渡したら、そうとは知らずに使って捕まったことから夫の悪事が露見したってさ。」
というものです。
「給料袋」とは、いかにも昭和の匂いがしますが、給与振り込みが始まったのはいつ頃だかご存知ですか?実は、昭和40年代から既に始まっていたといいます。理由は、
1.1968(昭和43)年の「三億円事件」を契機に現金輸送の危険性が認識されたから。
2.1969(昭和44)年に国家公務員の給与振込導入が決定されたから。
3.1969(昭和44)年12月に住友銀行で現金自動支払機が初めて設置され、徐々に全国の銀行に普及していったから。
などの具体例が挙げられていました。とはいえ、それぞれの会社の実情や社会の情勢の中で、少しずつ変化していったものと思われます。
では、カラーコピーの出現はいつ頃だったでしょうか?1972年(昭和47年)、普通の紙にカラーコピーが出来るコピー機が商品化されたと言いますから、冒頭の椿事は、その後のことであり、平成になるかならないかの頃だったのではあるまいかと想像します。
お札をカラーコピーした時点で立派な犯罪行為の前触れですから、男が身内に対する見せかけの行為だったと言っても、反社会的行為であり、許される言い訳にはなりません。
しかも、40代という大の大人が、お札のコピーが有罪になることや、誤って家族が使用したら大変なことになるという簡単な推測や、良心の是非善悪が浮かばなかったということの方が不可解でした。お金の魔力は、人の良心をも狂わすものなのでしょうね。
「遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり」(『論語』衛霊公)
とは、けだし名言です。
「刑法」の「第2編 罪」の「第16章 通貨偽造の罪」の条には、
第148条【通貨偽造及び行使等】
(1)行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
とありました。社会的信用の喪失、職場の解雇、三年以上の懲役刑等々を考慮すれば、件の男のように軽い気持ちで犯せる偽札コピーではありません。
と偉そうに言っていますが、白紙の用紙がローラーを通るとお札がプリントされて出てくるマジックを見ると、「あんなお札製造機があったらな!」と溜息を漏らす愚かな私も否定できません。
新札は、「ニセ札防止」のために、そのデザインを一新するのだそうです。
日本銀行は、7月3日、20年ぶりに新紙幣を発行します。「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一が1万円札、「女性の地位向上と女子高等教育の普及に大きく貢献」したと言われる津田梅子が5千円札、「近代日本医学の父」と称される北里柴三郎が千円札という3種の紙幣デザインの変更です。
一般に「珍事」と「椿事」は同じ意味合いとして使われているようですが、少し違うようです。古くは「珍事」と書かれていたものが、江戸時代末期から「出来事」と言う意味の「樁事(とうじ)」(「椿」の「日」が「臼」)が使われるようになったのですが、「樁」という漢字が一般的でないので「椿」と誤記され、次第に使われるようになったのだそうです。
しかも、「椿事」とは「不意をつかれた思いがけない一大事」というように、ただ珍しいだけでなく、その出来事によってなにか変化がもたらされるような重大なことの場合に使われるといいます。「珍事」<「椿事」ということなのでしょうか?
キャッシュレス社会を標榜する21世紀に、「新札」の是非論もありますが、停滞した経済の空気を一新する起爆剤になって欲しいものです。なにやら、明るい希望を占うような国家規模の大きな試みのようにも思われます。
偽造が出来ない最新鋭のさまざまな工夫がなされていることは疑いのないところでしょうが、新札にまつわる「椿事」が起きないことを祈るばかりです。
※画像は、クリエイター・吉塚康一 Koichi Yoshizukaさんの1葉をかたじけなくしました。タイトルは以下のようなものでした。お礼申し上げます。
タイトル【百年ニュース】1921(大正10)6月12日(日) 塙保己一の没後100年祭が同年9月,生まれ故郷の埼玉県児玉郡と墓所の愛染院(四谷)で開催の報道。塙保己一温故学会は,埼玉出身の実業家 #渋沢栄一 を発起人に,国学院大学学長の芳賀弥一,宮中顧問官の井上通泰を中心に運営され,1927(昭和2)には温故会館が竣工。