No.1245 初夏の訪問者
昨日の午前6時18分、大分市小池原近辺のことです。
「トッキョキョカキョク(特許許可局)」で市民権を得ているだけでなく、「テッペンカケタカ(天辺翔けたか)」、「ホンゾンカケタカ(本尊掛けたか)」、「ブッキョカケタカ(仏居掛けたか)」などとも聞きなしされるホトトギスの声が空から聴こえてきました。
ホトトギスの聞きなしには、「ホッチョカケタ(包丁掛けた)」や「オトットコイシ(弟恋し)」というのも知られているそうです。それは、こんな昔話によるものです。
妹の掘って煮て食わせた山の薯(いも)が、あまりに旨(うま)いので、兄は邪推をして、妹はもっと旨いのを食っているだろうと思った。そうして包丁をもって妹を殺したところが、妹は鳥になってガンコ・ガンコと啼いて飛び去った。ガンコというのは薯の筋だらけの部分を言う。さてはそうだったかと悔いて、兄も鳥となり、ホチョカケタと啼いて飛び、今でも山の薯の芽を出す頃になると、昔のことを語るのだという。(柳田国男『野鳥雑記』)
在りし日の妹(弟という昔話も?)を恋い慕う遺伝子が、喉も嗄れよとばかりに彼らの声を悲しげに響かせるのでしょうか。あるいは、その姿を慕って追い求め、鳴き続けているのでしょうか。当時の貧しい人々の食生活の苦しさ、食糧事情の乏しさがうかがわれます。
『古今和歌集』巻第十三・恋三・641番には「読人しらず」として
「時鳥 夢かうつつか 朝露の おきて別れし 暁の声」
の歌が見えます。恋人と夜を過ごした翌朝の別れの一瞬、あるいは恋人を待ち続けたのに訪れなく、空しい時を感じた一瞬をホトトギスの声が機縁となって詠んだものでしょうか。切ない思いが伝わってきます。「ホトトギス効果」を歌人たちは狙ったのでしょう。
『方丈記』の中で、鴨長明は、
「夏はほととぎすを聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。」
(夏はホトトギスの声を聞く。その声は、死出の旅路の道案内を語っているようだ。)
と語っています。浄土(冥界?)に導いてくれる有り難い鳥だという意識があったのかもしれません。終活(?)の長明にとって、ホトトギスは盟友ならぬ冥友でもあったのでしょうか?
夏の風物詩とされるホトトギスの声で、あれこれ考えてしまいました。その声は、途切れ途切れでしたが、6時41分まで続きました。
「谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま」
杉田久女(1890年~1946年)
※画像は、クリエイター・マサルさんの、「ホトトギス 富士の雪です。」と説明のある1葉をかたじけなくしました。秋の花でしょうか。その花言葉に「あなたの声が聞きたくて」というのがありました。何やらゆかしい花です。お礼を申し上げます。